[A00-0006] 竈門神社(かまどじんじゃ)
神社誌№A00-0006
神社名 竈門神社(かまどじんじゃ)
社格  官幣小社
鎮座地区筑紫郡
所在地 筑紫郡太宰府町大字内山
メモ  
祭神玉依姫命、相殿神功皇后(左)、応神天皇(右)
由緒祭神は畏くも淑徳円満にして霊光四海に普き皇宗神武天皇の御母神玉依姫命にまします。
玉依姫命は海神豊玉彦命の御女にして鸕鷀草葺不合命(官幣大社鵜戸神宮祭神)の御后となり給ひ、五瀬命稲飯命御毛沼命神倭伊波礼彦命(神武天皇)の四柱の御子を生み給ひ、背の君を援け奉り四柱の御子等の御教養と建国の大業に御心を悩まさせ給ひ、宗像三女神志賀の神様等に御協議の為め日向国より筑紫蒼溟の地、霊気長く久しく籠る此の竈門山に登り給ひ、其の御計画に心身御修業あらせられたる実に竈門山は造化神霊の宿れる所にして、千古の霊蹟皇宗母神の降臨地であり、又命の御陵の所在地なり。
按ずるに玉依姫命を中央主祭の神とし、神功皇后八幡大神を左右に配祀せしは、宇佐神宮三座の神と御同神にして玉依姫命は同神宮の比売大神と御同体に座すなり。其は一の宮記に当国筥崎八幡宮の祭神も一に八幡大神二に聖母神功皇后三に竈門号の筥崎八幡一とありて此三座の神は分離すべからざる由縁あればなり。宇佐神宮の比売大神に就きては日本書紀に曰く、神所生三女神者使降居干葦原中国之宇佐島矣今在海北道中(宗像三社を指す)号曰道主貴とありて、宇佐の社伝に三柱の女神とあり。又近江国蒲生郡武佐八幡宮の社伝に、田心姫伊命瀛津島姫命市杵島姫命此三神号玉依姫命とあるなどを通観すれば、此三神は一体分身の神にして一体の時は須勢理毘売と称し(大同本記に見ゆ)宇佐神宮男山八幡宮にては単に比売大神と称し、又当社及筥崎八幡宮にては玉依姫命と申して一座の神なることを知るべし。
神武天皇皇都を中州に定めんと途に上らせ給ふに及び天皇は諸皇子と共に此の山に登り給ひて、躬親から御胸鏡を榊木の枝に取り掛け厳の太玉串を刺立て建国の大偉業を申告して御加護を御祈り給ひぬ、されば天皇の大偉業は玉依姫神の御教化に因る事大なるものなり。
天智天皇の御時都府楼を太宰府に建て給ふ際、竈門山は鬼門に当れるを以て勅使を御山に遣し厳に御祭儀を仕へ奉らせ給へり。次で天武天皇白鳳二年有司に命じ給ひて神殿を創設せられたり是当竈門神社(宝満山)創立の始めにて、仁明天皇承和七年四月勅使奉幣の事有り、延喜式制には名神大社に列せられ、白河天皇の御代には九州二島総鎮守の神と崇められ、堀川天皇嘉承元年には正一位を賜はり、鳥羽天皇天永三年勅使奉幣の事あり、歴代の御崇敬極めて篤し。豊臣秀吉太宰府に来りし時社殿の再築あり、黒田藩主の入国以来更に社殿の再築等ありしが、明治維新後は神仏の混合を解かれ、全山の社殿仏舎は全部破焼せられ只一宇の社殿のみ残されて村社に列し、明治二十八年十月官幣小社に御昇格仰出さる。斯くて御神威は旧に倍して四海に普き霊山たり且つ名山たる竈門山は、永く久しく神霊の鎮座まします霊域たり。
特殊祭事古来十六詣と称し、男女十六歳に至れば一代の開運隆昌の為め、必ず参拝祈願をなす習あり。
例祭日十一月十五日
主なる建造物上宮 本殿、渡殿、拝殿、社務所
下宮 本殿、渡殿、拝殿、神饌所、斎館社務所
主なる宝物宝満宮御伝記上下二巻、勅額一面、水鏡一面、竈山詩稿一冊、唐獅子一個、其他鳥居五基
境内坪数上宮、中宮跡を含む 十八万九千六百四十五坪
下宮 三千四百九十坪五勺
氏子区域及戸数太宰府町北谷区五十五戸、向内山区三十戸、御笠村原区三十五戸
境内神社五穀神社(倉稲魂命)、須佐神社(素盞雄尊)
末社愛嶽神社(軻遇土神)、式部神社(倉稲魂命)
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