[A00-0037] 日吉神社(ひよしじんじゃ)
神社誌基本情報
神社誌№ | A00-0037 |
神社名 | 日吉神社(ひよしじんじゃ) |
社格 | 村社 |
鎮座地区 | 福岡市 |
所在地 | 福岡市大字比恵字幸田町 |
メモ |
神社誌明細情報
祭神 | 大山咋神 |
由緒 | 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる、社説に曰く、日吉又は山王宮とも称へ比恵山の上に鎮座し給へり、古此の邑に日吉神を祀りて一村の産神とし奉る、然して此邑を比恵といひ山を比恵山(山王山とも称す)といへり。時に山の茂りのあさはかにて宮居あらはなし故にや其のほとりに大路ありて馬に乗り社前に打通りける人に必ず祟り給ひて往来のなやみありしかば、里人これを憂ひて御社を杜のかたへにうつし奉りぬ。其後は神の心おだやかに成り給ひしにや重ねて下馬の咎もなく久しき年を経たり。然るに此宮所は卑湿の地にして畢竟宮所に宜しからざれば、里人又相共に力をあはせ寛文六年丙午五月に御社をもとの山上に復し奉る(石鳥居は元禄十年建立)。其時宮所の地を整理せしが昔神殿の有けるあたりより一の石の櫃を掘り出せり、其中に銅にて作りたる円き形なる物あり是をよく穿削すれば疑もなき心の御柱なり昔は神廟高大にして末社も多かりしこととて今に若宮、田の天神、賀老神と称する叢祠三つ計残れり。又往昔国牧郡主より多く社領を寄附せられたりといふ、今宮近き田地に粢田、修理田、棟梁田、宮畝町などいふは皆往昔の神田、の名を今に称し伝ふるものなり。且又文政四年十二月、同六年七月、天保十年八月、弘化二年三月、萬延元年十二月藩邸の命により病気平癒の祈願を行ひ、文政八年十二月には拝殿造営に付藩邸より銀十五枚の寄附ありき。斯くの如く代々藩邸の尊崇篤かりしが殊に大守黒田忠之公は信奉深くして年毎に代参ありき。又かつて画工に命じて猿の絵を写さしめ寄進し給ひたり。 |
例祭日 | 九月十九日 |
主なる建造物 | 神殿、拝殿、透塀、社務所、手水舎 |
主なる宝物 | 刀剣、短刀(天国作)刀二振 |
境内坪数 | 千二百七十五坪 |
氏子区域及戸数 | 氏子区域 福岡市大字比恵全部、戸数 約四百戸 |
境内神社 | 稲荷神社 庚申社 |