[A00-0049] 少童神社(わたつみじんじゃ)
神社誌№A00-0049
神社名 少童神社(わたつみじんじゃ)
社格  村社
鎮座地区福岡市
所在地 福岡市大字庄字金戸
メモ  
祭神菅原神、大綿津見神
由緒祭神菅原神は無格社天満神社として明治十五年十月十九日据置許可。
祭神大綿津見神は同大字字前に村社少童神社として祭祀ありしを大正九年十二月三日許可を得て移転合併せり。
社説に曰く、祭神大綿津見神は元大字庄字前に鎮座あり、庄の地名の語原は潮より、塩又庄に転化せりと伝ふ、往昔此の辺一帯潮水侵入し来る塩浜にして元の少童神社の西南十町の処に塩田の跡あり、地名の起源、塩浜の事実より見て当社は古社なること推定せらる。又元天満神社は菅原道真公御左遷の時此処に着き給ひ此地の法浄寺と云ふ真言宗の寺院(此寺は今の神社の西方にありしと云ふ、今はなし)に一宿し給ふ是に依りて後世菅公の御社を建立せりと云ひ伝ふ、其時村民左座氏の者此地の塩を献せしと云ふ故に昔より此村の潟にて焼きたる塩を太宰府の神厨に捧げたり、塩浜絶へし後と雖明治十六年迄は毎年八月ニ十三、四日に塩ニ斗五升を御供所に献納せり、今は僅に精塩少量持ちて左座氏の者参拝せり。
因に安楽時御領目録に塩浜庄あり又御供屋蔵書太宰府神社日供御供料の内に早良郡庄御塩浜十二町と記しあり。
尚天満神社の事は宗祇法師筑紫紀行にも見へたり即ち明ればニ十九日生の松原へと同行さそひて立出侍るに大なる川を打ちわたり見れば右に一群の林あり、即聖廟の御社なり法施まいらせ夫より銘の浜とて塩屋多く処のさまもさびしげなるを過て云々とかけり、社内に円石二つあり共に周四尺位にて菅公の腰掛石と云ひ伝ふ。
不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日十月十九日
神饌幣帛料供進指定大正十二年十二月ニ十日
主なる建造物神殿、渡殿、拝殿、社務所、通夜堂
境内坪数四百八十八坪(民有地第一種)(神社有地)
氏子区域及戸数大字庄 二百七十ニ戸
境内神社埴安神社(埴安神)庄字金戸に無格社埴安神社として祭祀ありしを明治ニ十三年二月許可を得て移転境内に、大正三年二月四日字西園無格社埴安神社を合併同時に合霊許可。
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