[A00-0050] 宝満神社(ほうまんじんじゃ)
神社誌№A00-0050
神社名 宝満神社(ほうまんじんじゃ)
社格  村社
鎮座地区福岡市
所在地 福岡市大字有田字馬場
メモ  
祭神彦火々出見尊、玉依姫命、鸕鶿草葺不合尊
由緒不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
社説に曰く、当社は其由緒詳かならざれ共、此地は往昔田部郷に属し殊に小田部の枝村なりしかば同所、宝満宮を分社勧請せりとも伝ふ。神社の西方に一反歩余の宮田と云ふ所あり往年本社の祭田なりしと謂ふ。
特殊祭事当社に御日待祭の特殊祭事あり即ち夏祭のとき神占により宮座及日待座を定め毎年秋の彼岸開の日又は翌日氏子村民老若男女参集して終夜日待の神祭を行ふ其の由来を尋るに、享保宝暦の頃天災地変頻に至りて禾穀稔らず悪疫流行して郷民窮乏の極に達す、時の庄屋松尾孫三郎氏日夜心膽を砕きて救済の策を講ずれ共其効なかりき、然れども耿々たる任侠の義心は座して里民の苦境を見るに忍びず蹶然死を決して当時法度の厳禁せる減祖の嘆願をなせり、果然氏は重刑に処せられんとせしが其水火を辭せざる救民の赤誠は藩公の感ずる所となり、遂に其罪を許されたるのみならず毎年本村より六十俵宛の年貢を免ぜらるるに至り村民始めて生色あるに至れり、当時氏の藩廳に召喚せらるるや郷民は此氏神宝満宮の境内に集まり徹宵慟天哭地庄屋の罪の軽からんことを神明に祈請せり、爾来神恩を謝し氏の愛郷の赤誠を思ひ日待祭を執行して今日に及べり。
例祭日十月十九日
神饌幣帛料供進指定大正十五年五月十三日
主なる建造物神殿、渡殿、拝殿、絵馬殿、神饌所兼社務所
境内坪数五百ニ十二坪(民有地第二種共有地)
氏子区域及戸数大字有田、七十戸
境内神社菅原神社(菅原神)明治十五年一月ニ十日字天神屋敷より遷す 古く小田部氏の鎮守と云ふ。
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