[A00-0070] 白山神社(はくさんじんじゃ)
神社誌基本情報
神社誌№ | A00-0070 |
神社名 | 白山神社(はくさんじんじゃ) |
社格 | 村社 |
鎮座地区 | 糟屋郡 |
所在地 | 糟屋郡久山村字松浦 |
メモ |
神社誌明細情報
祭神 | 五十猛神 |
由緒 | 昭和四年五月二日村社に列せらる、創立年代詳ならざれども往古より鎮座ありしことは古老の口碑に伝はれり。 伝説に曰く、聖武天皇天平四年三月僧源通勅命を奉ぜりとて社殿を造建し、二世源信を経て累代殷盛を極め、社僧本谷百坊、西谷百坊、別所百坊、日吉六十坊(或は山王五十坊とも伝ふ)あり、春冬両度の大祭壮厳に行はれ、毎年三月朔より十月迄は特に皇室の安穏国家鎮護の祈祷を為せりと云ふ。元弘建武の兵乱を受け且つ寺坊中互に争闘し、本谷、西谷、別所の僧坊は盡く灰燼に帰し、日吉六十坊残りて社頭の祭祀を奉ぜしも、天正十四年薩摩の兵燹に罹り、日吉も亦烏有に帰せり。後里民小祠を営み神社に最も縁故深き首羅山頭光寺を萬治年中村内に移し、其の寺僧をして祭事を司らしむ。 大正十三年二月二十七日許可を受け、同村字山の神無格社山神社に祭祀ありし、大山祇神を合祀と同時に字花の木原より現在の地に移転す。 又社説に曰く、白山の宮本地は百済国より虎に乗じて天平二年に来朝し給ひ、先当山に地を示し給ふと也。其後天平四年三月聖武天皇源通和尚に詔ありて当山に建立し、二世源信和尚以降累代繁昌せり。観念観法の厳あり、俗に源通岩と云ふ。竃門山より峯入の節は今に二夜三日の祈願あり、乗り捨て給ふ虎の猛威に恐れて郷人弓箭を以て是れを害せしが其の首より光明輝き化身を顕しければ、首を羅物に包み、埋めし所に十一面観世音菩薩を安置す。之に依り首羅山頭山頂上の本殿には春秋の祭礼ありて帝国安穏国家鎮静の祈祷あり。本社宮造は直ちに紫宸殿を移し賜ひ、十五間四面の講堂ありて毎日無量壽経を讀誦し給ふ。 |
例祭日 | 十二月初卯日 |
主なる建造物 | 神殿、渡殿、拝殿、社務所 |
境内坪数 | 三百坪 |
氏子区域及戸数 | 百十二戸 |
境内神社 | 大山祇神社 |
末社 | 大山祇神社 |