[A00-0111] 名島神社(なじまじんじゃ)
神社誌№A00-0111
神社名 名島神社(なじまじんじゃ)
社格  村社
鎮座地区糟屋郡
所在地 糟屋郡多々良村大字名島字城山
メモ  
祭神湍津姫命、田心姫命、市杵島姫命
由緒宗像三神は神功皇后の勧請にして其の後社は旧藩主より寄附。明治五年十一月三日村社に被定。
社説に曰く、神功皇后御征韓御出発の際、此地に於て宗像三女神に三韓服従のことを御祈請遊ばされ、従軍将士の氏名を名乗らせ給ひ(元黒崎と云ひしを此の時より名島の称あり)御乗船遊され、御凱旋の御帰途此所に御報賽の為め宗像三女神を御奉斎せられたるを起源とし其時供奉の官人をして御社創立の為め残し社務に当らしめ給へりと云ふ。中世宗像神を佛名に替へて辨財天と称せしが、明治維新の際復旧して名島神社と称し今日に至れり。
天正年間関白豊臣秀吉公社参あり、小早川隆景公当国主となり、当地に城を築かれし時社殿を改造神領を寄附せられ、其子秀秋公に至り社領没収の事あり。慶長五年黒田長政公入国と同時に名島城は廃せられしが、当社に社領を寄附せらる、以後国主より社殿の造営度々ありたり。此の頃よりは士庶民の信仰深く、別て六月二十日(現今七月二十日)の祭礼は特に賑はしく城下及遠近の庶民、舟より又陸より参詣するもの多かりしと云ふ、尚現在は巳巳日を祭日として参拝者多し。境内約六千坪、老樹繁茂し博多湾に臨み風光明媚なり。境内には神功皇后御征韓当時の帆柱石に化せりと云ひ伝ふ檣石あり、昭和九年五月一日文部省告示第一八一号を以て天然記念物に指定あり。
例祭日七月二十日
神饌幣帛料供進指定明治四十二年三月五日
主なる建造物神殿、渡殿、拝殿、神饌所、社務所
境内坪数五千九百五十八坪
氏子区域及戸数大字名島一円 二百八十戸
境内神社恵比須神社(大名持命、保食神)由緒不詳、祭神保食神は同大字宇内掘無格社保食神社として祭祀ありしを明治四十四年四月十九日合併許可。
古宮(湍津姫命、市杵島姫命、田心姫命)由緒宗像三神は神功皇后の勧請にて其の殿社は旧藩主の寄附。
豊宇気神社(豊宇気命)由緒不詳
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