[A00-0115] 宝満宮(ほうまんぐう)
神社誌基本情報
神社誌№ | A00-0115 |
神社名 | 宝満宮(ほうまんぐう) |
社格 | 村社 |
鎮座地区 | 糟屋郡 |
所在地 | 糟屋郡須惠村大字須惠字古宮 |
メモ |
神社誌明細情報
祭神 | 玉依姫命、菅原神、須賀神 |
由緒 | 本社は応徳二年竈門神社領八十庄の北境糟屋郡須惠村大字須惠字古宮に勧請されしものにしてこの地須惠川の清流に臨み古代住民の集落地として古くより拓かれ南方歴然と宝満山の霊姿を仰望さるゝ霊域なり。 平安朝初期より宝満山頂の竈門神社が朝廷の尊崇篤きに従ひ本社は同宮の摂社の如く認められ上下の敬仰をうけ、天台宗聖護院派の山伏来つて本社を奉じ須惠より佐谷にかけて数多の坊舎を営み若杉三山の諸峰を修法の道場とせり、而して古の盛時の有様は佐谷より天治二年の銘ある経筒五個が発掘されたるに及び正中年間佐谷賢聖院にて法華経一万部の読誦ありし由の石碑の残存するを以って証すべし。 鎌倉期文永十一年元軍来寇するや筥崎宮又兵火に罹り神輿を宇美方面に奉還するの巳む無き至りし時本社の坊集死守し戦ひ幸ひ神威を汚さず、南北朝時代征西将軍に属して勤王の為働きしと伝へらるゝは本社の特記すべき光栄なり。 戦国時代毛利氏の臣杉連並本社を崇敬したりしが佐谷と右谷の坊家争闘して本社を始め多くの堂坊焼失古文書宝器等一切焼失したり。 天正十五年小早川隆景名島に城を築くや本社の頽廃を歎き一宇の社殿を造営黒田長政公は紫縮緬の幔幕三張を下賜され忠之公は本社を修理補され若杉山の山林一部を寄附記念に一本を植樹さる社側の殿様槙と称するもの是也。 元禄十二年宝満座主楞伽院兼雅国家の安泰を祈らんが為に国中の峯入をなせし時本社の坊衆もこの挙に加はりしかば綱政公は自筆の絵馬を下され拝殿を飾る宣政公も参詣あり次で継高公明和四年本社再建、斉清公文化二年再補せらる。 明治五年十一月三日村社に定めらる。 |
例祭日 | 十月十八日 |
神饌幣帛料供進指定 | 大正十三年九月二十五日 |
主なる建造物 | 本殿、神饌所、拝殿、社務所 |
境内坪数 | 一百八十九坪 |
氏子区域及戸数 | 二百五十七戸 |