[A00-0316] 須賀神社(すがじんじゃ)
神社誌№A00-0316
神社名 須賀神社(すがじんじゃ)
社格  郷社
鎮座地区直方市
所在地 直方市大字下境字平原
メモ  
祭神武速素盞嗚命、保食神、吾勝神、稲食魂神
由緒舒明天皇の御宇天の忍日命の苗裔神の直岩熊麻呂神憑を蒙り、此地に本朝武徳の大祖素盞嗚命を崇祀し奉り始て武徳神社と号す。天平七年天下大に疫す太宰府令を下して治疫を祈らる。貞観十五年改めて祇園神社と号す。此地豊前国境に接するを以て古来境郷と称し、一郷の鎮守武徳の租神として士庶の尊敬最も篤く、両部集習合社として緇素渇仰の中心となり、建武元年惣政所の決裁書、同三年の社畔板碑及び応永二十五年の神給田文書等に照して当時社運隆盛の一班を察すべく、慶長十二年竹屋壹岐守神殿を再興するや、高取城主手塚水雪其釆邑の霊神たるを以て尊信殊に厚く、寛永六年竹屋孫右衛舌間宗善等社殿再興に際し、東蓮寺城主黒田高政の宰臣山中守松、吉田の三士君命を承け之が奉行たり。天和三年郷内五邑(上境、下境、中泉永満寺、畑)の産徒神殿を造営す。宝永二年直方領主黒田長清の命に依り下境の産徒祇園社を今の地に移す、郡吏末永、高屋の両宰臣を奉行として社殿を再興せしめ同三年新殿に遷座す福地、若宮の両神をも相殿に祭る。特に領主神額一面藤巴神燈二張を寄附し、高屋、末永の両臣を代参せしめ以て永式とせらる。正徳二年領主黒田長清より更に藤巴御紋幕一張を寄崇敬の蹟附せらるる等古記に顕然たり。明治五年十一月三日村社に定められ祭神稲倉魂神は同村字黍田無格社稲荷神社として祭祀ありしを同四十二年八月脱漏神社編入合併許可。大正十二年三月十三日郷社に列せられ。
特殊祭事宮座祭(牛馬安全祭)毎年四月と十二月に行ふ。往昔は当日祭典後社前にて直会同席上にて氏子区内の年中行事の協議決定を行ひしも、現今は牛馬安全祭を執行後直会を行ひ、四月にありては畜産奨励の目的を以て社前にて全区内の仔牛品評会を行ひ褒賞を授与す。治風祭はしら祭と称し八月十五日行ふ。治風祭典後境内又は川原に設けられたる先端漏斗形に開きたる長き先端に燃料を入れ、下より区内の青年松明を投上げ燃料に点火せしむるの行事あり。
例祭日七月十四日
神饌幣帛料供進指定大正二年四月十九日
主なる建造物本殿、中殿、拝殿、神楽殿、随神門、廻廊、社務所、水舎、倉庫
主なる宝物刀剣二振、神鏡三面、獅子頭一対
境内坪数一千七百十五坪
氏子区域及戸数大字下境一円 九百戸
境内神社日吉神社(大己貴神、大山祇神、伊弉冊神、瓊々杵尊、事代主神、国狩槌神、応神天皇、七柱なり)
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