[A00-0324] 綱分八幡宮(つなわきはちまんぐう)
神社誌№A00-0324
神社名 綱分八幡宮(つなわきはちまんぐう)
社格  県社
鎮座地区嘉穂郡
所在地 嘉穂郡庄内村大字綱分字本村
メモ  
祭神応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
由緒社伝に神功皇后糟屋郡宇美の里より穂波郡大分を経て豊前国に出て給ふ時此地を過ぎ給ひし遺跡に後世(神亀年中とも云ふ)御社造営祭祀せりと言ふ、附記本村は元金丸村と云へり慶安五年造立の石燈籠の銘に綱分庄金丸とあり。
一説に当所往昔豊前宇佐宮の神領地なりしに依り勧請祭祀せりと言ふ。
当社は往昔より嘉麻郡宗廟社の内にして庄内河内十三村(現今十三大字となれり)の産神なりき。
大正七年領主秋月種実社領を寄せらる其書に(文書の始め欠け)三の供僧田一に五反年ふ、四の供僧田安丸前一に三反半五の供僧田、六の供僧田、舞志田、かねつき給御〼ひ田(其他多数あり略す)以上二十三町三百歩、大正七年二月十五日、在松伊賀守実直、井手若狭守家房、麻田石見定康とあり附記連署者は秋月家の重臣なりと言ふ。
正保三年二月浮殿造立す。
元禄十三年村中より御供田として田二反一畝二十二歩を寄進し神田とせり又神職の自作田畠三反四畝十歩を交付し諸役切銭等は村中支弁とせり。
享保三年三月綱分村有松義平第一石の鳥居同年八月綱分荘有松孫作赤松平治、第二石の鳥居を建設奉納す。
享保十一年九月御社殿炎上す。
享保十三年九月神殿を再興す棟札に有松甚十郎父之志を継ぎ再造すとせり。
宝永五年御神輿再造す。
明治御維新前嘉麻、穂波郡代役所より祈雨祈晴の祈祷を執行せしめられたる文書現存するもの七通あり。
明治五年十一月三日郷社に定めらる。
明治二十一年拝殿再建す。
昭和五年六月十七日県社に列せらる。
又社説に曰く、神亀二年の創立にして其昔神功皇后山田の邑より大分の宮に御幸し給ひ夫れより東なる金石山の麓金丸村(現今綱分と云ふ)に皇后御輿を進ませられ、此地にて勅し給ひ、三面宝珠の神山なりと宣ひ、天神地祇を奉斎の斎場を設け、報賽の幣帛を奉られ、其の時金工に命じて新たに三振の宝剣を造らしめて神璽となし給へり是れ本社の社地にして此の宝剣こそ実に本社の御神体なり。領主藩主武門武将の崇敬特に篤く、秋月種実の家臣より社領二十三町三百歩寄附の證文あり。
黒田藩代々の藩主より、社殿の造営再建永代御供料の寄進神器具類の奉納屡々ありたり。
特殊祭事当社放生会の御神幸は、其の行列の厳粛なること他に其の例を見ることを得ざる有名なるものにして、流鏑馬、相撲、神楽、手踊の奉納催しありて、参拝者も亦頗る多し。
例祭日九月十三日
神饌幣帛料供進指定明治四十五年五月十六日、昭和五年七月八日
主なる建造物神殿、拝殿、神饌所、社務所、手水舎、神庫、鳥居、透塀、荒垣、制札、社標、浮殿
境内坪数三千四百六坪
氏子区域及戸数綱分全部 三百九十一戸
境内神社天満宮(菅原神)、須賀神社(素盞嗚雄神、少彦名神)、若宮社(仁徳天皇)、塞神社(伊邪那美命)、貴船神社(高龗神、闇龗神)
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