[A00-0580] 高祖神社(たかすじんじゃ)
神社誌基本情報
神社誌№ | A00-0580 |
神社名 | 高祖神社(たかすじんじゃ) |
社格 | 県社 |
鎮座地区 | 糸島郡 |
所在地 | 糸島郡怡土村大字高祖字高祖 |
メモ |
神社誌明細情報
祭神 | 天津日高彦火々出見命、玉依比売命、息長足姫命、天照皇大御神、豊受神 |
由緒 | 九州諸将軍記には神代より鎮座とあり、建久八年原田種直怡土城の旧跡を再興し在城せしより該神を城中の鎮守とし天正十四年原田信種没落の後怡土郡総鎮守の由、往古当村字大下と云ふ地に鎮座永正四年今の地に移転永正以来の棟札には託祖大明神と記載せるもの現存す、又筑前国続風土記等には元慶元年九月ニ十五日神位云々今の本殿は天文十年原田弾正隆種改造寛文二年黒田光之材木悉皆寄附補す、明治五年壬申十一月三日郷社に定められ大正十五年六月九日県社に列せらる。 祭神天照大御神豊受神は字屋敷に無格社大神宮として祭祀ありしを大正四年一月許可を得て合祀す。 尚社説に曰く当社創立の起源詳かならざるも怡土県鎮土の社として上代より鎮座ありて怡土県主の崇敬厚かりし事明かなり。怡土県主五十述手の勤王、一に当社尊崇に因るものと思惟せらる。神功皇后三韓御征伐の御時香椎の宮より此処まで御幸ありて、高祖の神に異国降伏の御惠を仰ぎ給ひけるに果して冥助特に深くありければ皇后御帰りの後報賽の御祭として新に御宮を造り乾に向つて御社を建て給ひき。下つて奈良朝孝謙天皇の御代吉備真備に勅して怡土城を築き給ひしが、当社を怡土城鎮護の神とし給へり。当社は城内中央の岡の上にあり。三代実録に元慶元年九月二十五日癸亥授筑前国正六位上高礒比咩神従五位下、とあり。但し正六位を授けられし時代は不詳。原田氏怡土城の旧跡を修理し高祖城を築き此の地に威を振ふ事凡そ四百年(建久八年より天正十四年迄)、その間当社を城中の鎮護の神として崇敬し毎年正月元日同十五日二月初卯三月三日、五月五日、七月七日、九月九日、十一月初卯には原田氏祭主となり、殊に九月二十六日の大祭には原田当主御輿に供奉して御幸をなせり。原田時代の棟札、古文書等多数現存せり。黒田氏筑前国主に封ぜらるるに至り、当社を怡土郡の総社と定め、諸事郡中にて辨ぜり。現今も四月二十六日祈年祭の節には郡内各大字より祭典費を寄進し、大神楽を奉納するを例とせり。 |
例祭日 | 十月二十六日 |
神饌幣帛料供進指定 | 大正十五年七月八日 |
主なる建造物 | 神殿、幣殿、拝殿、社務所、神饌所、神庫 |
主なる宝物 | 縁起、棟札、絵馬、刀剣 |
境内坪数 | 千三百九十七坪 |
氏子区域及戸数 | 高祖区全体 戸数百二十戸 |
境内神社 | 伊弉諾神社(伊弉諾尊、伊弉冊尊)、思兼神社(思兼命、菅原道真)、徳満神社(大名持神、少彦名神、保食神) |