[A00-0582] 宇美八幡宮(うみはちまんぐう)
神社誌№A00-0582
神社名 宇美八幡宮(うみはちまんぐう)
社格  県社
鎮座地区糸島郡
所在地 糸島郡長糸村大字川付字長岳山
メモ  
祭神上宮 仲哀天皇
本宮 誉田別天皇、気長足姫尊、玉依姫命、瓊々杵尊
由緒当社者仁徳天皇十年壬午年勧請の由緒記に記載有之、承元二年十一月二日源義頼延文五年五月六日但馬守源長、延文六年七月十三日(此間不明)文書等数通神庫に現存す明治十二年飯原村同十五年小蔵村二ヶ村の者分離の儀上願旧藩に於て中津領東怡土郡十二ヶ村の惣社なり、明治五年十一月三日郷社に定めらる。大正七年十二月二十四日県社に列せらる。祭神瓊々杵尊は字大原無格社天降神社として祭祀ありしを明治四十四年五月二十六日合併許可字長岳山無格社上宮は従来本社と離るべからず由緒ある神社なるも誤て別立致居たるを以て大正元年十一月十三日許可を得本社の飛地境内神社へ引直たり。
尚社説に述ぶる所左の如し、当社は古来社号を宇美八幡宮と称し宮号を唱へ神社号を称せず。宇美と云へるは応神天皇御降誕の地なるに因ると云ひ伝ふ。又此地和名抄に云ふ所の長野郷なるに依り、長野八幡宮と戴せる古文書多数現存す。
上宮は神社境内林南方突角、丸塚堅山陵上石祠にして社記に依るに神功皇后三韓征伐の際、香椎より仲哀天皇の御棺を遷し陵を築き賜ふ所。
祭神誉田別天皇、気長足姫命、玉依姫命は称徳天皇の神護景雲元年に社務公実と云者の奉斎する所なりと云ふ。奈良平安朝時代頗る大社にして二月大神楽、九月には七日間御神幸大祭、御神輿三輦深江子負ヶ原なる鎮懐石八幡宮境内迄渡御あり、相撲、流鏑馬等盛儀を極めしと云ふ。
承元二年義頼、延文五年(附記、延文五年は所謂北朝の年代吉野朝の正平十五年)但馬守源長、永徳元年(附記、永徳元年は所謂北朝の年代、吉野朝の弘和元年)源津康応元年(附記、康応元年は所謂北朝の年代吉野朝の元中六年)源最等の寄進状、嘉禄年正平年応安年(附記、応安は所謂北朝の年代吉野朝の正平二十正年より文中三年の間)正長年等の各社領田数帳現存す。怡土郡中津奥平領の総社たり。
例祭日九月十五日
主なる建造物本殿、幣殿、拝殿、宝蔵、神輿庫、御炊所、社務所、参籠所
主なる宝物神社御縁起一巻、同副紙一通、八幡宮御神影一軸、聖母宮御神影一軸、八幡宮御降誕神影一軸、八幡宮神地寄進目録一巻、寄進田帳嘉禄三年一冊、寄進田帳正平年一冊
境内坪数三千百十五坪
氏子区域及戸数大字長野、大字川付、戸数計百三十戸
境内神社金刀比羅神社(顕仁天皇、豊玉比古命)、宮地嶽神社(勝門姫命、阿部助盛命、阿部高盛命、志那津比古、志那津比売命、大山祇命)、猿田彦神社(猿田彦神)
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