[A00-0589] 大祖神社(たいそじんじゃ)
神社誌№A00-0589
神社名 大祖神社(たいそじんじゃ)
社格  村社
鎮座地区糸島郡
所在地 糸島郡芥屋村大字芥屋字久保地
メモ  
祭神伊邪那岐大神、天照皇大神、伊邪那美大神、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、玉依姫命、草野姫命、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、神直日命、大直日命、八十枉津日命
由緒創立年代詳ならず、社伝に祭神伊邪諾尊、伊弉冊尊、天照大神、月讀尊、蛭子尊、素盞嗚尊にして神代よりの鎮座と伝ふれども今其沿革詳ならず又一説に伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神、月讀神、素盞嗚命を奉祀すと云へり、然ども今斎祭する所は三座なり。
往昔本社に奉仕寺院二ケ寺あり大日寺善福寺と云へり然とも建治年中大日寺は当郡泊村に善福寺は岐志村に移れり、其跡今社辺に残れり、而して大日寺は既に廃絶して今僅かに一小堂宇を存せり善福寺は後又芥屋村字東に移り建治寺と称し曹洞宗に属し現存す。
文明十三年社殿再興す棟札に大檀那甲斐秀久とあり。天正十二年七月社殿再興す棟札に大檀那大蔵朝臣原田了栄再建すとあり。
其他慶安四年(付記、慶安四年は所謂北朝の年代なり、吉野朝の建徳二年に当る)以来代々相継て改造の棟札を存す文久三年社殿改築す、現今の社殿是なり従前境内五百六十坪宮山凡方三丁ありしも地租改正の際境内二百七十七坪のみとなれり、明治五年十一月三日村社に被定。
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、玉依姫命、草野姫命、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、神直日命、大直日命、八十枉津日命の十二祭神は同大字浜無格社、綿積神社として祭祀ありしを明治四十四年八月十七日合併許可同大字字西無格社産屋神社として祭祀ありしを同年同月同日合併許可祭神彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊にして同一祭神に合霊せり。
社説に曰く、旧記に此の地は伊弉諾神禊祓の霊跡にして当時より鎮座し給しと伝へ国主領主の崇敬篤かりしと云ふ。文明十二年(付記、明細帳には十三年と記す)大檀那甲斐秀久再興の棟札今に存せり。嘉永七年八月神殿神庫焼失して宝物古文書等皆烏有に帰したりしは惜むべし。承和元年(千百余年前)奉献になる石燈籠現存せり。
聖武帝の時宮殿の左右に大日寺善福寺の二堂を置けりと云ふ大日寺は泊村に遷し、善福寺は建治年中村中に遷せしより建治寺と改称す。
社の北に当りて亘厳海中に突出し、北方に口を向けて一洞あり、此れ即芥屋大門にして大門神社を祀れり。
例祭日八月二十三日
主なる建造物本殿、幣殿、拝殿、社務所、神饌所、通夜堂
境内坪数七百八十四坪
氏子区域及戸数芥屋村大字芥屋 二百十戸
境内神社天満神社(菅原神)、宇気神社(豊受姫神)、八幡神社(応神天皇)、宇気神社(豊受姫神)、松原天神社(彦火々出見尊、豊玉姫命)
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