[A00-0672] 鎮懐石八幡宮(ちんかいせきはちまんぐう)
神社誌№A00-0672
神社名 鎮懐石八幡宮(ちんかいせきはちまんぐう)
社格  村社
鎮座地区糸島郡
所在地 糸島郡深江村大字深江字津ノ上
メモ  
祭神誉田天皇、気長帯姫尊、竹内宿禰命
由緒万葉集に云ふ。筑前国怡土郡深江村子負原云々近有路頭公私往来莫不下馬跪拝と伝曰往昔大帯姫命征新羅国之時玆両石著袖中以為鎮懐中古当社大に衰頽す天和年中更に営社殿明治五年十一月三日村社に定めらる。尤旧藩之節修理営繕之都度藩主より数多寄附銀有之加之領内より許多献資等之義有之鎮懐石文及其詠歌あり石碑に基存す。尚社説に曰く、此御社の御神体は鎮懐石と称へて往昔より二顆の円石を斎ひ奉れり。此石の此辺に鎮まりませる縁は、古事記、日本書紀、万葉集、筑紫風土記、筑前国風土記等の古書に見えて由緒確実なる神社なり。
万葉集巻の第五に
山上臣憶良懐石を詠ずる歌一首並に短歌
筑前国怡土郡深江村子負原は、海に臨み丘上二石有り云々。並に楕円状鶏子の如し、其美好なるは勝て論ずべからず、所謂径尺璧是なり。深江の駅家を去る二十許里(二十許町の誤ならん里人の伝説に古の深江駅は今の上深江なりといへり、今の深江は全部砂地にて其頃迄は海中なりしこと明なり、上深江より子負原迄は凡そ二十町許あり、二十里余もあらんには深江村子負原とは云ひ難し。)近き路頭にあり、公私の往来馬を下りて跪拝せざるはなし古老相伝へ曰往昔息長足日女尊(神功皇后)新羅国を征討し給ふ時、茲両石を採り御裳の中に挿し著て鎮懐となし給ふ。故に行人此石を敬拝して乃ち歌を作て曰く。
かけまくは、あやにかしこし。たらしひめ、かみのみこと、からくにを、むけたひらけて、みこころを、しづめたまふといとらして、いはひたまひし、またまなすふたつのいしをよの人に、しめしためひて、よろづよにいひつくがねと、わたのそこをきつふかえの、うなかみのこふのはらに、みてつから、おかしたまひてかむなからかむさひゐますくしみたま、いまのうつつに、たふときろかも。
あめつちの、ともにひさしく、いひつけと、このくしみたままかしけらしも。
山上憶良は四十五代聖武天皇頃の人なり。
東京帝国大学教授筧博士福岡県知事の許可を受け大正十四年七月二十七日本宮の御霊代を拝見せられ大前にて和歌三首を詠ぜられたり。
上つ代に御母と皇子をつらぬきて内外を結ひしくしみたまかも
足姫の御身も皇国もから国もしつめましつるくしみたまかも
天地のむた栄ゆくたらし姫の貴の奇霊これにおろかむ
紀元二五八四年七月二十七日 克彦
例祭日九月十五日
主なる建造物神殿、幣殿、拝殿、社務所、鳥居、注連掛石
主なる宝物伝来の宝鏡、水晶の玉
境内坪数約千坪
氏子区域及戸数深江村大字深江 三百五十戸
境内神社寒座三柱大神
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