[A00-0725] 御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)
神社誌№A00-0725
神社名 御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)
社格  県社
鎮座地区三井郡
所在地 三井郡三国村大字大保字龍頭
メモ  
祭神足仲彦天皇、天照大神、八幡大神、吉富大神、春日大神
由緒神功皇后二年創立、社説に曰く天皇筑前国橿日宮にて崩ましぬ皇后姑く男貌を仮り石を以て御形代とし之を奉し三韓を征し給ふに三韓不日に服す御凱陣の後大法の郷に宮柱太敷立て此石を祭り給ひ御勢大霊石神社と崇らる社前に御剣御衣を納め給ふこれを御本体所と称す勢は夫にて皇后よりの尊親の称御魂代の石なればなり、欽明天皇、天武天皇、宇多天皇、鳥羽天皇、高倉院の御宇再興、文明二年領主筑紫興門再建天正十四年兵火に罹て社殿焼失す同十七年仮殿造立天和二年旧領主有馬伊豫守豊範正殿拝殿再建其後造営材木は旧久留米藩より雑費は御井御原両郡割符を以て仕来候、式内小社、明治六年三月十四日郷社に定められ明治二十九年七月十七日県社に列せらる。
尚社説に述ぶる所次の如し、亦伝説に曰く、仲哀帝熊襲親征伐に当り、橿日の本陣より此地に軍を進め給ひ、宝満川と垢離川の合流地大保が、白州にして清浄の地なれば、先づ天神地祇を祀り仮陣所となし軍を督し給ふ。一日近臣を従へ志気を鼓舞せんため、前線を廻り給ひ、黄昏時に及び御帰還の途流矢に中り給ふ、近臣等驚き仮宮に御伴し御看護申上たるも日ならず崩御ましました時恰も激戦中にて志気の沮喪を畏れ、深く秘して仮に御殯葬申上げたり。(今の御本体所)戦一段落に及び軍を纒め、御崩御を布告し御霊柩を橿日に遷し奉りぬ。皇后御凱陣後天皇の御形代を魂代とし、甲冑御衣を納め三韓鎮撫神として祀り給ひぬ。
例祭日十二月十四日
神饌幣帛料供進指定大正十一年九月七日
主なる建造物拝殿、幣殿、神殿、宝倉、社務所、接待所
主なる宝物縁記二巻、太刀一口
境内坪数千二百十坪
氏子区域及戸数三井郡三国村大字大保一部落、戸数七十三戸
境内神社成末神社(仲哀天皇荒魂)、粟島神社(少彦名命)、牛天神社(保食神)
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