[A00-0829] 老松神社(おいまつじんじゃ)
神社誌№A00-0829
神社名 老松神社(おいまつじんじゃ)
社格  村社
鎮座地区三井郡
所在地 三井郡立石村大字上岩田字磐戸
メモ  
祭神菅原眷属神、高良玉垂命、住吉大神
由緒不詳、明治六年三月十四日村社に列せらる。社説に曰く、当社の鎮座地を神磐戸(現今の大字名上岩田は後世神磐戸より変じたるものなり)と云へり。往昔神功皇后筑前国古処山麓荷持田村に居住の羽白熊鷲を征伐し給ひ、次で筑後国山門県の土蜘蛛田油津媛を滅ぼさんと荷持田村を御出陣夜須野より筑後国津古に出で給ひ、舟にて得川(現在の宝満川)を下らせられ此の神磐戸に御着あり、現在の神社地は当時の行在所の跡なり。御駐輦の砌武内宿禰をして御剣を祭らしめ給ふ、境内に在る不動石即是なりと、又境内には大岩窟ありしが、第百十代後光明天皇の御宇正保年中稲吉井堰築造の為め破壊し、今は其の跡のみを存す。
古の社殿は第七十一代後三條天皇の御宇延久二庚戌年上岩田の庄領家菅原氏の造立其の後下高橋城主高橋氏基肆城主筑紫氏再建す。御原郡の惣社と仰がれ、宝物等数多ありしが第百六代正親町天皇の朝天正十四年薩摩勢筑前に攻め上りし際兵火に罹りて神殿末社宝物等悉く焼失せり。其の後第百九代明正天皇の朝寛永年間再建、更に百十九代光格天皇の朝文化年間に再建して今日に至れり。
尚境内地中の島に建立の五重塔は第九十六代後醍醐天皇の御宇元徳二庚午上岩田の庄領家地頭直人が天長地久祈願の為め建てたるもの、又神社の一の鳥居は第百十二代霊元天皇の朝寛文三癸卯年十月の建立なり。第百十四代中御門天皇の御宇享保年間迄は神官十一人集ひ氏子にて盛んなる神事を営み御幸行事あり、名頭七人主として其の祭事に当れりと云ふ縁起書存せり。古は神田も数多ありしが今は地名(火王田、彼岸田、石橋、大橋、〼菓、鶴崎、神楽田、石之本、粢田、泉水元等)として残り民有田に帰せり。
例祭日十月十六日
主なる建造物神殿、幣殿、拝殿
主なる宝物古神体木像数本、獅子頭一口、土器数個、大王面一個
境内坪数八百七十九坪
氏子区域及戸数大字上岩田、大字井上区一円計百〇五戸
境内神社天満神社(菅原神、仁徳天皇)、事勝神社(猿田彦大神)
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