[A00-1722] 福岡県護国神社(ふくおかけんごこくじんじゃ)
神社誌基本情報
神社誌№ | A00-1722 |
神社名 | 福岡県護国神社(ふくおかけんごこくじんじゃ) |
社格 | 護国神社 |
鎮座地区 | 福岡市 |
所在地 | 福岡市六本松 |
メモ |
神社誌明細情報
祭神 | 明治維新 小室彌四郎基直 以下二百八柱 佐賀之役 大池蠖二 以下五十四柱 南西之役 豊田良作 以下三百八十六柱 日清戦役 山形駒嘉 以下四百四十一柱 日露戦役 大庭景一 以下千八百柱 台湾土匪討伐及大正三年乃至九年戦役 西初太郎 以下百九十二柱 大正三年乃至九年戦役 島本諫見 以下二百三十三柱 満州及上海事変 諫山準二 以下二百二十九柱 日支事変 葦津景短 以下二千七百七十七柱 合計 六千三百二十柱 |
由緒 | 明治維新、佐賀之役、南西之役、日清戦役、日露戦役、台湾土匪討伐及大正三年乃至九年戦役、満州及上海事変、日支事変に於て殉国したる別格官幣社靖国神社祭神中福岡県関係者を祀り、昭和十五年一月十日内務大臣創立許可、昭和十八年四月三十日鎮座祭を執行、同年同月二十八日福岡市馬出千代松原福岡護国神社(由緒別項記載)合併の件福岡県知事許可同年同月卅日合併祭を執行せり。 [福岡護国神社由緒] 明治元戊辰年十一月旧筑前国主黒田長知が奥羽佐賀の両役に斃れたるものを旌忠祠と称し追祭し来りしものにして後官祭馬出招魂社と称し、又明治維新前、官武混淆国寃抂殞命の勤王の志士を追祭旌忠祠と称し後ち官祭妙見招魂社として祭祀す、明治三十九年十二月二十七日許可を受け、該官祭妙見招魂社を官祭馬出招魂社の隣地に移転し爾来官祭妙見馬出招魂社と称し来りしも昭和十三年一月二十一日附を以て許可を受け、両招魂社合祀の上官祭福岡招魂社と改称す。 昭和十三年四月二十九日許可を受け日清日露の両役を始め奥羽、佐賀の乱、西南の役、欧州大戦、満州上海支那事変に当り国難に殉したる旧藩内出身の靖国神社祭神を合祀す、明治八年四月二十六日太政官達第六十七号を以て国庫より経費供進せられ、明治三十四年六月以降官祭の名称を冠し招魂社名を称し来りしが昭和十四年三月十五日内務省令第十二条施行に伴ひ同年四月一日許可を受け福岡護国神社と改称す。昭和十八年四月二十八日附内務大臣指定護国神社となる。 |
例祭日 | 四月三十日、十月三十日 |
主なる建造物 | 社殿、本殿、祝祠殿、幣殿、拝殿、渡廊翼舎、神饌所、祭器庫、神庫、透塀、神門、手水舎、社務所 |
境内坪数 | 五万八千七百五十五坪 |
氏子区域及戸数 | 福岡県下一円を崇敬区域とし、崇敬戸数六十一万五十八戸 |