[A00-1738] 須賀神社(すがじんじゃ)
神社誌№A00-1738
神社名 須賀神社(すがじんじゃ)
社格  無格社
鎮座地区八幡市
所在地 八幡市大字藤田
メモ  
祭神素盞嗚尊、八王子神、奇稲田姫神
由緒社説述ぶる所次の如し、祭る所の御神三座、昔時藤田村前田村との境皿倉山西の麓に廣原の地あり、此處に鎮座し給ふ。長政公の長臣井上周防之房を国端守護のため城を築き藤田村熊手村の両邑を集めて駅亭とし、黒崎と称し、此時祇園社を今の地に移し鎮め給ふ。後鳥羽院建久五年源朝臣頼朝卿筑前国の内三千町の地を関東宇都宮上野介藤原重業に賜ひ、重業同国帆柱山の城を築きて居す。此時波多野氏の元祖下野国より宇都宮氏に従ひ来りて、山城国八坂郷より此地に欽仰し奉りて守護神とす、麻生氏在城の時は士家多く村里宮座ありて神事祭礼の儀式も殊にいかめしく遠近の人詣て集ひ、商人集りて市をなし、山笠多かりき、又御旗所の跡あり、松本と云ふ、流鏑馬場あり、射場の本と云ふ。麻生氏守護神なれば神田をも寄附ありしといふ。今田の字三月免、神田、勢能田等云あり、又拝之坂と云ふ処あり、汚穢の人神事に此処より拝せりと云ふ、産民等打集六月十日名護屋崎の潮井、大渡川の潮井の潮井を以て社地を清む、大祭の始とす、十一日神官注連を下して御祓す、十二日諸病の患を除く牛馬の冥助を祈て藤田、熊手、田町及船町上の銘産民等山笠小供類有て賑々しき御神幸、船町波止場に於て御潮井を授奉り、十三日祝部男集つて御神楽たえず。現今に於ても御神幸に黒崎の山笠の名著し。
筑前国続風土記に「祇園社。昔は藤田の枝村上の名と云ふ所皿倉山の下にあり」是昔麻生氏の創立せし社也藤田の町の後に移せり、祇園及山王春日三座を祭る」安永年中大風に社殿倒壊三神社を同殿に祀る、明治初年祇園社を須賀神社と改む。
例祭日七月十二日
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