[A00-1741] 八幡神社(はちまんじんじゃ)
神社誌№A00-1741
神社名 八幡神社(はちまんじんじゃ)
社格  無格社
鎮座地区鞍手郡
所在地 鞍手郡西川村大字永谷字辻
メモ  
祭神応神天皇、姫大神、加々背男命、田心姫神、湍津島姫神、市杵島姫神
由緒当社を奉斎したる所以は、村の東南に当り三穂嶽あり、山頂三峰に分る、一峰に天孫邇々杵命の御体を奉葬し、二峰に御冠を納め、三峰に御衣を納め、名づけて朝日塚羽衣塚と云ふ。又日向の可愛の陵と云ふ景行天皇の御宇十二年筑紫の熊襲反す、日本武尊勅を奉じ御征伐のとき、新北亀の甲に於て神籬を作り、天神地祇を祭り且可愛の陵に厚く幣帛すとぞ。後村民横山に一社殿を建て、毎年初穂を祓取り二十八平瓦各一升盛の供を備へ祭祀し来れり、其の例今尚行へり。然るに当社を八幡と奉称せしは後水尾帝の御宇元和元乙卯水無月中旬韓の四五兵衛自行なる者、福岡衣川氏(付記、衣笠とせるものあり)招きに応じ炎暑を恐れて十六日の夕影を以て夜中箱崎の宮前に至り社前の傍に月を眺めしか夢現に神殿の扇鳴開し衣冠正敷翁一人出給ひ自行を喚び、神馬を引き鞍置けと詔給ふにより白馬に白鞍を置き御前に引進めければ翁乗り給ひて汝阿弥陀峰に供せよと、自行馬の口を取り長谷村の横山一社殿に至り神馬を留め西に向ひ給ふと見て夢覚む自行手洗ひ口を漱ぎ御前を拝し社僧知禅坊に神夢を具申す、知禅坊自行を誘ひ、座主阿闍利法印の許に至り、幣帛を奉り神霊を分ち帰り、一社殿を合祭し八幡宮と改む、其の後九十余年を経て正徳三年新分村を裂きて長谷村を置く。祭社加々背男命は同大字字汐井川に無格社妙見神社として祭祀ありしを大正元年十二月十九日合併許可、及田心姫命、湍津島姫神、市杵島神は同大字字柱松ヶ谷に無格社三柱神社として祭祀ありしを大正元年十二月十九日合併許可
例祭日十月十七日
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