[A00-1748] 大根地神社(おおねちじんじゃ)
神社誌基本情報
神社誌№ | A00-1748 |
神社名 | 大根地神社(おおねちじんじゃ) |
社格 | 無格社 |
鎮座地区 | 嘉穂郡 |
所在地 | 嘉穂郡内野村大字内野字大根地 |
メモ |
神社誌明細情報
祭神 | 国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸道尊、大戸辺尊、面足尊、惶根尊、伊邪那美尊、天照大神、天忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊、鸕鷀草葺不合尊 |
由緒 | 俗伝に往昔神功皇后の勧請し玉ひし社なりと云ふ。社説に曰く、神功皇后羽白熊襲征伐の時其の元年三月八日此の霊山に登らせられ、勝ち軍を祈らせ給はんとして天神七代地神五代を鎮祭せられ、皇后親ら御神楽を奏し給ひて此の山に御宿陣あらせらる。其霊験著しく容易に熊襲等の諸賊を誅滅し給ふと。其後里民産土神と仰ぎ奉りしを、此の山は里を距る一里十余町、而も宝満山に亜ぐ高岳なるにより参拝容易ならず是を以て宝治二年老松神社を村に勧請して産神と斎ひ奉るに及び、当社は遂に末社の格に下れりといふ。然れど当社は俗に大根地権現或は大根地稲荷神社などと称し、夙に藩主黒田氏に尊崇せられ、宝永二年には綱政公より石の鳥居寄進あり、又特に藩主の許ありて明治初年に至るまで嘉麻、穂波一円(今の嘉穂郡)に神符を配札し英彦山宝満の山伏等ここに峯入して修験するなど、古より広く世に知られ、崇敬者は近郡は更なり福博、北九州方面より遠く朝鮮、満州地方に及び参詣するもの日に多し、社内に通夜堂あり参籠者常に絶えず。 |
例祭日 | 旧二月初午、四月七、八、九日、九月二十五日 |
主なる建造物 | 本殿、幣殿、拝殿、社務所、参籠所、神庫 |
主なる宝物 | 古鏡、石鳥居 |
境内坪数 | 百九十五坪 |
氏子区域及戸数 | 福岡県内を主とし遠く満鮮台湾に及ぶ |
境内神社 | 朝近稲荷神社(倉稲魂神、大宮迺売神)、奥の院稲荷神社(倉稲魂神) |