[A00-1770] 大牟田神社(おおむたじんじゃ)
神社誌基本情報
神社誌№ | A00-1770 |
神社名 | 大牟田神社(おおむたじんじゃ) |
社格 | 無格社 |
鎮座地区 | 大牟田市 |
所在地 | 大牟田市本町一丁目 |
メモ |
神社誌明細情報
祭神 | 鹿島大神(武甕雷神)、手置帆負命、彦狭知命 |
由緒 | 大牟田神社は大牟田市本町一丁目五番地に祭祀ありしも明細帳脱漏に付三池郡玉川村大字櫟野字山浦免に無格社山浦神社として祭神手置帆負命、彦狭知命を祭祀ありしを昭和二年十一月二十四日脱漏編入と同時に合併許可。 伝説に曰く、今を去る約四百年前天文七年旧三月十五日有明海大牟田の沖合に干潮の時御神像を拾ひ上げ村民大に喜び、是天の与ふるものなりと、当時の里正役古賀与五郎氏発起となり、此の御神像は七福神の毘沙門天の神なりと申し、大牟田村の氏神として奉斎崇拝せし神社なり。然るに明治の御代となり神仏混合を廃せられしにより毘沙門天は仏神なるが故に仏を廃し武御雷槌神は脱漏編入となり、山浦神社祭神手置帆負命彦狭知命を移転合併し大牟田神社として奉斎、昭和二年十一月二十四日付を以て許可せらる。再興以後日増に参詣者多し。此拾ひ上げし御神像は元筑後の国柳河の藩主立花宗茂公の下臣に堀九右江門といふ者あり、禄四百石にて仕へし武勇の達人にて武勇の守神として武御雷槌神を斎祀りし神像なりしが一大水の為打流され給ひし其御像を大牟田村の拾ふ所となりしこと判明せり。 |
例祭日 | 十月十三日 |
主なる建造物 | 本殿、幣殿、拝殿、社務所 |
主なる宝物 | 菊御紋章入香炉 一個 |
境内坪数 | 三百五十四坪九合六勺 |
氏子区域及戸数 | 元大字大牟田区 三千六百五十余戸 |
境内神社 | 猿田彦大神、稲荷神社(豊受比売大神) |
末社 | 天満神社(管原道真公)、恵比須神社(八重事代主神) |