[A00-1771] 須川神社(すがわじんじゃ)
神社誌№A00-1771
神社名 須川神社(すがわじんじゃ)
社格  無格社
鎮座地区企救郡
所在地 企救郡中谷村大字道原字瀧
メモ  
祭神高淤加美神、闇淤加美神、闇御津羽之売神
由緒創立宣化天皇御宇鎮座す。社説に曰く、宣化天皇二年六月創立、宣化天皇の二年夏六月此地大旱あり、瀑流沿村の里正等此地に集り、瀑下に座して雨を祈ること数日にして大雨沛然たり、依て一同神恩を感謝し祠を建て高淤加美神、闇淤加美神、闇御津羽之売命を祀る。其後法連上人此地に錫を留め山中に塔石を建つ。応永六年二月二十日大内修理大夫盛見此社に詣で、社田若干石を納め祭祀の資となさしむ。寛永四年当国の太守細川忠興公神跡の湮滅せんとするを憂ひ廟堂を改造す。万治三年小笠原忠眞公神霊を尊崇し、再び廟宇を修造す。元禄九年小笠原忠雄公重ねて一新す。是より正月朔五穀成就の式典を行ふ。又古来旱魃に逢ふ毎に国主は社職に命じて請雨の法を行はしむ、故に忠苗公及忠固公諸山の社寺に命じ雨を祈らしむれども験あらず、然るに此社に就て請雨の祭祀を行ふ毎に霊験有らざることなし。文化二年十月十五日豊主忠固公旧字の木像は永久に堪えずと石祠に改造せしむ現今の神殿なり。降りて大正十一年六月大旱に際し、企救郡長津田恕広斎主となり、企救郡神職会、企救郡各町村聯合大祈雨祭執行忽ち霊感あり、爾来大旱毎に雨を祈り霊感あらざることなし。昭和十四年七月及八月の二回の大旱魃に門司市小倉市企救郡各町村門司小倉企救神職会聯合主催の下に大祈雨祭執行、遠近の各郡市より此山間瀑下に集り熱誠雨を祈る者毎日数百千を数ふ。各人竹筒に御瀧の水を戴き持帰るを例とすと。
例祭日十月十三日
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