[A00-1775] 宇賀神社(うがじんじゃ)
神社誌№A00-1775
神社名 宇賀神社(うがじんじゃ)
社格  無格社
鎮座地区築上郡
所在地 築上郡東吉富村大字小犬丸字宇賀神廻リ
メモ  
祭神高龗神、闇龗神、宇都宮姫霊
由緒豊前志(中津の人渡邊重春著)に小犬丸村にあり。天正の頃中津城主黒田長政、城井城主宇都宮鎮房を討ちて其の女千代姫(長政の室となりて中津城内に在りしなり)及女房二十四人残なく小犬丸の川原にて殺したり、然るに其の処に一本の松ありけるが其の松に数々奇瑞ありきと云ふを以て、社を建て千代姫及女房等の霊を祭り宇賀神と称せし由、宇都宮闘諍記城井谷物語等に見えたり。此の千代姫の極屋の中に幽囚せられし時、工匠の物作る音を聞きて「何やらむ」と番人に問ひければ「機の木を作り侍り」と答へけるに即て「中々にききて果てなむ唐衣誰かために織る機ものの音」と詠まれければ、如水も聞きてさすがに哀れとや思ひけん。「刑罰猶豫あるべし」とて暫時其の沙汰無かりとぞ。豊前事跡考(著者不詳)に、又長政の妻は鎮房の女なり。(朝房の妹千代姫)此時捕へて磔にす、供奉の女房も共に磔す。総て二十四人磔の場は今の小犬丸の南、広津の北と云ふ。(今の宇賀神社境内にありし老松木即ち之れなり)
豊前名所案内記(下毛郡の人一松又治著)に、益々下れば小犬丸の宇賀神社に至る、祭神は宇都宮鎮房の女千代姫及び其の女房等二十四人の霊なり。始め天正十七年黒田父子、宇都宮鎮房を中津城に招待し、長子の名付けの祝ひに際し一家を捕へ鎮房を中津城内に殺し千代姫以下女房、侍女二十余人を広津河原の老松に磔す。然るに爾後屢々妖怪ありしかば此処に社を建てて宇賀神と称す云々。
川角太閤記(元和寛永間の撰者西川原角左衛門の著)に官兵衛肥後へ被越候時紀伊を被打果候は内義の親類共、周防の山口に有之と聞え候間、局の女房達下部に至迄難なく周防国へ可被送と被言置候処、筑前殿分別には手ぬるく被思召間敷ためにや城下川原にてお礼内儀と一柱にくぐり付けあふり被申候残りの上﨟衆はした以下は無残はた物に上げ被申候事今に其の隠無御座候其の時の沙汰ヶ様成先例は未だ不承との事。豊前中津記(享保二年の著書)中津興廃記(宝暦十四年著書)の記事省略す。
社記に曰く、前数項の通り云伝へ、且つ黒田長政の妻と成りたる宇都宮鎮房の女を天正十七年小犬丸川原に於て残酷なる刑に処し、其の死骸を大松の本に埋めたり。然るに忽ち両足ある蛇出づ、其の長さ五尺余、白色にして其足亀の足の如し、両眼は水精に黄金をちりばめたるが如し、日輪の光を得て輝く事雷光の如し郷人の見たる者は病死すとて役人共馳せ来り、此の白蛇を打殺し桐の箱に入れて江府に遺す、長円始めて知る蛇に足あるを、箱中より「我は城井氏の娘なり科なき身を殺されて今に思ひの晴がたく、長き恨みをなすぞかし、父鎮房も同じ手の討死の諸家中皆怨念の積り来て城主に恨みを申なり」と依之様々に御祈りをなし、村民相議り其霊を姫神となし鎮祭す。其後奇瑞を現す事度々ありしも元禄年間城主小笠原信濃守源長円公に崇をなしなれば頓て城主より更に祠を建立して春秋の祭祀を厳重になしたり、夫れより小笠原奥平代々の城主毎年四月十九日九月十九日祭典の都度代参を立てられ大に崇敬せられたる神社なり。
例祭日十月十五日
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