[0003] 沖濱稲荷神社(おきはまいなりじんじゃ)
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沖濱稲荷神社(おきはまいなりじんじゃ) |
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2011/11/03 |
2012/07/21 |
無格社 |
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保食神 |
沖濱神社の由来
当社は太平洋戦争中の昭和二十年六月十九日の空襲により、戦災を受けるまでは、光照寿院(弘法大使堂)と共存し、広く博多地区の信仰をあつめていた。古来の伝承によれば、この付近の海岸、澳の浜に、大同元年(八〇六年)唐より帰朝の第一歩を印した弘法大使(空海)が、船旅の疲れを醫すため、しばしまとろんだ処とされている。その節の夢の中で、雲に乗った稲荷大明神が現れ、お告げあり「高野山に弘道の本拠を開くべし」とのことである。爾来当町では境内に「大師衣掛けの松」とて、代々松の木を守って来た。
筑前風土記によると、安永六年(一七七七年)五月二日、町内富山屋仁蔵という酒屋の大桶に星石が落ちたことを報じている。恐らく隕石のことであろう。その石は宝珠石と称し、沖濱神社のご神体として、のちのち信奉されるようになった。後世、二十年毎の式年行事に際しても、白布に包まれた宝珠石は、人の目に触れれば、忽ち盲目になると戒められていた。しかも今日では戦災後行方は不明である。
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福岡市博多区 |
812-0029 |
福岡市博多区古門戸町3-8 |
33.597076,130.404528 |
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【社名】 稲荷神社 [A00-1792]
【所在地】 福岡市古門戸町
【祭神】 保食神
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2012/07/21 |
2012/07/21 |
神社全景 |
社号標 |
社号標裏 |
川上音二郎生誕地案内板 |
川上音二郎生誕地案内板 |
川上音二郎碑裏 |
参道脇地蔵 |
沖濱神社由来 |
参道 |
社殿正面 |
鳥居扁額 |
社殿全景 |
社殿正面 |
社殿背景 |
鳥居扁額 |
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