[0006] 黒田稲荷神社(くろだいなりじんじゃ)
神社№  0006
神社名  黒田稲荷神社(くろだいなりじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2011/11/03
再訪日  2016/09/02
社格   無格社
その他社格 
ご祭神  保食神
由緒等  
黒田稲荷神社の由来
当社は古来の伝承によれば寛政十一年(一七九九年)黒田藩の福岡城内に祀ってあった社を勧請したとされる。その当時の名称は「正一位金一稲荷大明神」で金一稲荷か金一様と呼ばれていたが、城内から勧請した縁により藩を尊び、いつのころからか黒田稲荷と呼ばれるようになる。夏越祭時に子供等が「とぼした」「とぼした」と声を掛け合い火を灯す千灯明や祭礼催しものが行われ、近隣の信仰を集めた。本殿内には木玉(径三十五㎝)がご神体として祀られていたが、福岡大空襲により全て焼失。その四ヶ月後には、大乗院の銅版葺の空祠を譲り受け都市計画案により現在地に復興した。しかし、その後老朽化が進んだため平成十六年(ニ〇〇四年)に現在の祠に再建した。

祭礼日
初午祭(ニ月二日) 夏越祭(七月三十一日) 鞴(ふいご)祭(十二月十日)(予定)

戦災地蔵尊の由来
昭和二十五年(一九五〇年)五月、町内の方々により福岡大空襲で犠牲となられ戦災死された旧下対馬小路の町内の方々十五人の御霊と、当町出身の戦死者の方々四人の御霊のご冥福を祈念し、後生平和への象徴として建立された。旧奈良屋校地区(死者三〇八人)には本尊と共に、須崎町(旧下州崎)の恵比寿神社境内、古門戸町(旧中対馬小路)の沖濱稲荷神社境内に戦災地蔵尊が祀られている。旧十五銀行(現博多座)での犠牲者を祀った「じゅうご地蔵尊」は西区今宿の栄昌寺境内に移動、須崎問屋街(旧上州崎町)入口東側の「州崎地蔵尊」は東区馬出の宗玖寺に移動している。

福岡大空襲
昭和ニ〇年(一九四五年)六月十九日午後十一時十一分から翌日午前零時五三分までの間、米軍マリアナ基地から飛来した約二三〇機のB29爆撃機が、福博の街を一三五八トンもの焼夷(しょうい)弾で無差別爆撃した。福岡市の調査では、焼失面積は市域のニ九%。東西は御笠川から樋井川までの五㎞、南北は博多港の海岸線から櫛田神社-大濠公園までの一・八㎞の区域は全焼。被災戸数一万ニ六九三戸(全戸の一八%)被災者数六万五九九人(市民のニニ%)死者行方不明者九七五人、負傷者一〇四八人。その後負傷者で死亡した人も多く、死者数等は未確定のままである。
ご朱印   
鎮座地区 福岡市博多区
郵便番号 812-0028
所在地  福岡市博多区須崎町13-25付近
地図座標 33.598064,130.402423
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 稲荷神社 [A00-1791]
【所在地】 福岡市中対馬小路
【祭神】 保食神
コメント  
公開日  2012/08/05
更新日  2017/09/03
神社全景
祠正面
鳥居扁額
水盤
境内地蔵
黒田稲荷神社由来
祠正面
神社横景
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