川端大神宮由来
祭神 天照皇大神
「桜田屋七福神に宿を貸し」と川柳によまれた桜田屋長野家は元々直方の酒造家であった。かの享保の大ききんに際し、貯えの金穀を放出して難民の救済に当った。
元文五年(一七三九)その功により、黒田藩より許されここ上川端の地に旅人問屋(旅人相手の職業紹介所)を開き、旅人達の身許を引受け仕事をあっせんして皆に感謝された。頭書の川柳は「松ばやし」の加勢人を桜田屋があっせんした事による。
或時向側の宿に泊った伊勢の神官高太夫に頼んで伊勢大神宮より勧請して自宅の一角に祭祀したものが、この川端大神宮の始めである。以来上川端町が護持して来た諸事、願事を立てれば霊験あらたかという。尚、末社の稲荷社は五穀豊穣、商売繁盛の守護神として京都伏見より勧請せしものである。
上新川端町
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