[0026] 十日恵比須神社(とおかえびすじんじゃ)
神社№  0026
神社名  十日恵比須神社(とおかえびすじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2011/11/06
再訪日  2012/07/05
社格   無格社
その他社格別表神社
ご祭神  事代主大神、大国主大神
由緒等  
十日恵比須神社

社伝では、天正19年(1591年)正月、武内五右衛門が香椎宮・筥崎宮参詣の帰途、千代松原の波打ち際で恵比須神像を拾い上げたのが神社の起こりとされます。恵比須神社は七福神の一神で、漁民、商家の守護神とされ、人々の信仰を集めています。正月の縁起をかつぐ十日恵比須祭りは、8日を初えびす、9日を宵えびす、10日を正大祭、11日を残りえびすと呼び、多数の参詣者はもとより、参道を埋める露店や博多芸妓の「徒歩参り」で大変な賑わいを見せます。

福岡市

十日恵比須神社略記

十日恵比須神社御由緒略記

御祭神 事代主大神(えびす様) 大国主大神(だいこく様)
御例祭 一月十日
御鎮座 文禄元年(一五九ニ年)

御鎮座の由来・沿革
十日恵比須神社は、天正十九年正月三日、香椎宮大宮司武内家隠居、五右衛門と申す者、香椎宮、筥崎宮に参拝し、浜辺通り潮先においてゆくりなく夫婦恵比須神の御尊像を拝し恐懼奉戴して自宅に奉斎せしが、これより武内五右衛門商売繁昌するに至り、いよいよ御神徳をかしこみ、翌文禄元年正月十日新社殿を営み、十日恵比須と称し祭祀を厳修す。これより世人聞き伝え庶民の賽詣年と共に殷盛となり、天和元年には更に御社殿を壮麗にし、益々社運の隆昌を見る事と相成った。更に明治四十年、広く崇敬者の浄財に依り御社殿の改築、同四十三年に閑院宮御台臨の建物を買収し、開運殿と名付け開運お座を開きしより御神徳を仰ぐ参拝者激増の一途をたどり、ついで昭和二十七年十月、御父神、大国主大神を出雲大社より勧請。昭和四十三年に宏大な現社殿を新築。同年七月神社本庁より「別表に掲げる神社」に加列相成り、現今西日本屈指のえびす祭りとして暄伝せられるに至った。ちなみに当神社は急激に神徳の発揚、社運の隆昌を見るに至った神社であるが、その御例祭は郷土福岡市の正月、年中行事の随一として全市を挙げて奉賛のまことを致し、庶民の崇敬神社として関西一円の信仰を集めている。

御神徳
(1)事代主大神
天照大神の御弟、須佐之男命の御子孫で大国主大神の第一の御子様です。神様は父神をお助けなされて国土の経営、産業福祉の開発におつくしになりました。天孫降臨に先だち使いの神が出雲にお下りになり大国主大神にこの国を天つ神に献れ、とお伝えになった時、事代主大神様は美保関で釣を楽しんでおいでになりましたが、父神のお尋ねに対し「この国は天つ神の御子に奉り給へ」とお答えされ父神はその御言葉通り国土を御奉献なされました。そして事代主大神様は多くの神々と共に皇孫を奉護し、日本建設に貢献なされました。又神武天皇、綏靖天皇、安寧天皇御三代の皇后様は事代主大神の子孫で国初皇統外威第一の神にあたらせられ、古来宮中八神の御一柱として御尊崇極めて篤い神様であります。又事代主大神様は一名「えびす」様と申しまして「だいこく」様と共に世の崇敬特に厚く、私等の最も信仰し、一番親しみのある神様であります。人の世の日常の行為や行動を指導され、殊に釣竿を手にして鯛を抱かれた福徳円満の御神影、漁業の祖神海上安全、商売繁昌の守護神としての御霊験の広い事は極めて広く知られて居る通りであります。そして大義平和の御神徳、産業福祉の道をお開きになった御神業、福徳の神と仰ぐ神様であります。

(2)大国主大神
先に記しました事代主大神様の父神でありまして一名「だいこく」様と申します。だいこくさまは「天の下造らしし大神」とも申しますように私等の遠い遠い親等と喜びも悲しみも共にせられて、国土を開拓され、国造り、村造りに御苦労なされて、この住み良い日本の国土を築き、豊葦原の瑞穂の国と呼ばれるような、あらゆるものが豊に成長する国を造り上げられ、そして農耕、漁業をすすめて人々の生活の基礎を固め、殖産の法をお教えになり、又医薬の道をお始めになって人々の病苦をお救いになる等慈愛ある御心を寄せられた救いの親神さまであると共に、すべてのものが自然の姿にあるように護って下さる神様であります。この国造の大業が完成すると日本民族の大親である天照大神様にその豊葦原の瑞穂の国をおかえしになったのであります。だいこくさまは縁結びの神様としてあまりにも有名であり、又福の神として慕われすべての階層から広く深く信仰をおうけになっているのも人間が立派に成長するように、社会が明るく楽しいものであるようにすべてのものが幸福であるようにと、お互いの発展のためのつながりがこの「むすび」の御神徳に依り結ばれる事であり、我々に愛情を限りなく注いで下され、人間の幸福の「縁」を結んで下さる神様であります。

開運御座
古文書に依れば、今を去る約三百九拾年前(安土桃山時代)武内五右衛門と申す者「文禄元年正月十日、夫婦恵比須の御尊像を奉戴した処に御宮建立、十日恵比須と称し御酒、肴色々捧げ祭事(御座)賑々敷く相営み、毎年相変らず祭事(御座)致し追々世人の知る処と相成り聞き伝え聞き伝え年々参詣多くなり愈々御繁昌に相成り非常の事に御座候」云々とある様に現在に至るまで御座が開かれて居ります。
開運お座とは新春の縁起を祝う儀式で当神社の大祭、一月九日午前十時吉例の一番座に始まり、翌十日の二十四時まで次から次と神事が執り行われます。開運お座の式次第は次の通りで各界の知名士、崇敬者をお招きしますが(一般の方も申込出来ます)受付に御申込みの上、白丁を着けて先ず神殿にてお祓を受け神恩に感謝の念を捧げ、更に一年中の開運、商売繁昌、家内安全、無病息災の御加護を仰ぐ御祈願が執り行われ、次いで開運殿大広間の神前、お座席に着き係り世話人の新年の挨拶に始まり白木の折敷にお茶菓子、三福(福徳寿)を一福(一服)にして大福茶(大服茶)と云う新年吉兆の句を取入れお抹茶を差上げ、次で直会膳で縁起を祝う蛤吸物に一口ナス、次に当神社の神紋付大杯にて御神酒を差上げ折敷には御神札と御神饌、昆布するめ、めで鯛の蒲鉾春冠、えびす飴等が授与され御参席の皆様方の御幸運と御一家の繁栄を祈り威勢良くえびす手一本の打入れが行われ、次いで神社古来からの名物である縁起物の福引が声高々に行われお座席は一同和ごやかな雰囲気につつまれ、にこにことえびす顔、終って最後にもう一本えびす手を打入れ、福笹を手にしてお座が滞りなく終了する神事です。

えびす銭の由来
古来家屋の新築にあたり棟上の日に金銀の箔を押した銭、又は新鋳の銭を撤ずる式があり、これを上棟銭と云いました。江戸時代には将軍の若君等の誕生、元服などの時祝儀の為に鋳造した黄金の銭(父銭)銀の銭(母銭)等があり、これが神社、仏閣にも福種銭として盛んに用いられるようになりました。ところがこの銭を授かった人は不思議と開運に恵まれた事に依って何時となく縁起の良い銭(種銭)と称える様になりました。当神社では古くからこの種銭を恵比須神社から貸出すので「えびす銭」と称し、商いの元金(種銭)として神社より縁起の良いお金を借り、これを商売の元手にしました。翌年は神明の御加護に依り繁昌したお礼として借りたお金を倍にして神社にお返しして、又新しい年の繁昌の為に新しく借りて行く風習があり現在も尚続いて居ます。当神社では古くからのしきたりに依り昔の通貨一文銭(これは他にはその例がありません)を授与して居ますが、宝が満つる様に財布の御守として参詣者大勢の方々がお受けになって居ます。

かち詣り(徒歩詣り)
博多は昔から(那の津)と呼ばれ、商業貿易の町として栄えて来ました。この博多の年中行事の一つ新春第一の華を開く、かち詣りが正月大祭に行われます。現在博多には博多券番、旧券番とがあり、当日両券番のきれいどころ(芸妓)総勢で島田のビンに稲穂のカンザシ、紋付正装、裾ひき姿でかち詣りの、のぼりを先頭に、博多那乃津会の三味、笛、太鼓で十日えびすの唄をはやしながら東公園入口より行列、徒歩にて神社に参拝し、一年中の開運、商売繁昌の祈願をされます。
以前は宝恵駕参拝で、赤ズキン、赤ハッピを着こんだ行事委員長を中心にきれいどころ十二人がきらびやかな駕に乗り込み、海山の珍味を乗せた駕五丁を後に「ホイカゴホイ」祭りの福笹なつかしや、献上博多の帯しめて!と笛、太鼓に合せ威勢のいいかけ声を流して市内目抜き通りを練り歩き神社に参拝されたが交通事情と駕のにない手不足の為、永年続いていた宝恵駕が昭和四十四年正月を以って中止となり、翌四十五年よりかち詣りとなり現在も行われて居ます。

<例大祭>
一月八日 初えびす祭、九日 宵えびす祭、十日 正大祭、十一日 残りえびす祭
<秋季大祭>
十月九日 十日 二日間

筑前博多東公園 十日恵比須神社
福岡市博多区東公園(福岡県庁前)
電話〇九ニ-六五一-一五六三(代)
ご朱印  
鎮座地区 福岡市博多区
郵便番号 812-0045
所在地  福岡市博多区東公園7-1
地図座標 33.603968,130.418784
公式HP  http://www.tooka-ebisu.or.jp/
福岡県神社誌
【社名】 恵比須神社 [A00-1730]
【所在地】 福岡市東公園
【祭神】 事代主大神
【由緒】 鎮座文禄元壬辰年。明治十二年十月二十五日許可を得て那珂郡堅粕村東松原より東公園地内清浄の地に移転、更に昭和三年十月二十七日許可を得て現在の地に移転。
社説に曰く、香椎宮社家の子武内平十郎(後隠居して五右衛門と称す)博多に分家し、神屋と号して商業を営む、此の者天正十九年正月三日年始に当り香椎なる父の家に到り、香椎宮、筥崎宮へ参詣の帰途浜辺潮先に於て恵比須大神の尊像を拾ひ上げ之を自宅に奉斎せしが後拾ひ上げたる地に御社を建て氏の神と家運大に栄えたりと云ふ。
当社の古文書写次の如し。
一、天正十九年正月三日香椎宮、筥崎宮へ参詣の帰り浜辺潮先に於て拾ひ上げ勿体なくも奉祝千代松原沖恵比須宮、天正十九年正月十日 隠居武内五右衛門
一、翌年正月十日恵比須と称し拾ひ上げたる場所に御宮建立自身御供致し御酒肴色々捧げ祭事賑々敷相営み祭典相営仕毎年不相変祭事致し、追々世人の知る所と相成聞伝へ年々参詣多くなり愈御繁昌に相成非常之事に御座候
祭事は正月九日、十日に十日恵比須と称し祭礼を行ふ恵比須座と称する御座即ち撒饌を戴く儀式なり、又福引ありて恵比須神社特有の賑かなる祭なり、参拝者約十万に達すと云う。
【例祭日】 一月十日
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公開日  2012/07/13
更新日  2012/07/13
神社全景
十日恵比須神社案内板
正面鳥居
社号標
鳥居扁額
社務所
境内
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿正面
手水舎
鯛形の水口
拝殿正面
拝殿
拝殿内
神殿全景
社務所
本殿
神社裏門
 
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