地禄神社の由来
祭神 埴安神
いつごろ建立されたか定かでありません。随分以前からだと古老に聞きました。その話ですと、二百年前には建立されていたと思われます。神社右側に、二抱以上の松の大木がありましたが、今は枯れてありません。
埴安神は田ノ神様で、天神様と呼んでいましたがそれは誤りで、本来、田神様で永年の間に天神様と呼ぶようになっただろうと神官に教えられました。
昭和初期まで、小人等が正月絵馬を祭り、夏七月親達にダンゴを作って頂きお祭りをしていました。
大正末期より昭和の初めにかけて、下半道橋に火災多く発生、大人は神社の祭りを小人にさせているので、それではいけないと神殿を再建し、神官を迎えて、新しく祭日を決めて、大人がお祭りをするようになってから火災はピタリと鎮り、静かになりました。
その後、五穀豊じょう、家内安全を祈念するようになりまして、今日日日安らかであります。
因に古い扁額に、表、埴安神 地禄神社と並記して、裏、昭和二年二月二十日再建、神職、小烏居寛二郎と、小烏居寛二郎氏は、太宰府天満宮元権宮司でありました。(昭和三十ニ年四月にも再建されました。)
祭日
春祭 四月二十五日
夏祭 七月二十五日
秋祭 十月二十五日
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