[0083] 宇賀神社(うがじんじゃ)
神社№  0083
神社名  宇賀神社(うがじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2011/12/23
再訪日  2013/03/16
社格   無格社
その他社格 
ご祭神  倉稲魂命
由緒等  
宇賀神社の由来
(旧称・一本木神社又は黒田稲荷)

所在地 福岡市中央区大宮二丁目二の二
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
祭事
 二月 初午
 七月三十一日 夏の大祭(輪潜り)
 十二月八日 冬の大祭(針供養)

本神社の鎮座する地は、藩政時代は那珂郡平尾村の一本木と呼ばれた所である。一本木の地名の由来は、貝原益軒(一六三〇~一七一四)の「筑前国続風土記」によると、この地に大きなたぶの木(イヌグス)があった事によると記されている。本神社の起源は明らかではないが当初は田圃の中の小さな祠であったものと思われる。
福岡藩六代藩主黒田継高公の時代(享保十七年~十八年(一七三二~一七三三))に藩内は大飢饉で損毛高およそ四十万石、飢餓者七万人牛馬四千頭が死滅と言う甚大な被害をこうむった。世に「享保の大飢饉」と称される。この大飢饉後、藩政の建て直しが一段落ついた頃の宝暦一〇年(一七六〇)藩主継高公が「風雨順時」「五穀豊穣」を祈る気持ちから自分の産神である江戸の橋本稲荷にあやかって、新たに神殿、拝殿を造営し「本社蔵棟札」それ以後、直参、代参を欠かさず続けたと言われる。「本社蔵古文書」
江戸時代は、一本木の稲荷として衆民の信仰を集めていたようである(「筑前国続風土記付録」「筑前国風土記拾遺」)「稲荷」は五穀を司どる神で祭神の倉稲魂命(宇迦之御魂神)は農耕神である。
なお本社の鳥居は、往事福岡と佐賀・長崎を結ぶ街道(現在高宮通)を往来する旅人にとっての道標でもあった。「福岡教育委員会蔵古文書」
継高公建立百年祭を迎えた安政五年(一八五九)寄附者を募ったところ那珂、席田、両郡六十九ヶ村、福岡市中二十九町、二九〇名以上がこれに応じた。「本社蔵古文書」
農耕神としての信仰圏の広がりと共に、福禄の神としても都市商工業者の信仰を得ていた往時の様子を物語るものである。
拝殿の表に掲げられた「宇賀神社」の篇額は、明治六年のものである。明治初年には、一本木稲荷の社名を宇賀神社に改称されたようである。
平成五年十一月吉日 以上文献古文書より 大町氏調べ

奉納 平尾有志 平成八年五月吉日

宇賀神社
 宮司 石橋一成
 宇賀神社氏子一同
 代表 入江芳美
ご朱印   
鎮座地区 福岡市中央区
郵便番号 810-0013
所在地  福岡市中央区大宮2丁目2-33付近
地図座標 33.576511,130.404659
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 宇賀神社 [A00-1843]
【所在地】 福岡市大字平尾字五反田
【祭神】 宇賀魂神
コメント  
公開日  2013/03/24
更新日  2013/03/24
高宮通り沿い鳥居
高宮通り沿い鳥居扁額
高宮通り沿い社号標
手洗鉢
由緒書き
参詣道風景
参詣道鳥居
参詣道鳥居
神社入口鳥居
手水舎
注連掛石
社殿正面
社殿正面
社殿神額
神使狐
神使狐
社殿全景
社殿全景
社殿背景
 
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