[0105] 平尾八幡宮(ひらおはちまんぐう)
神社№  0105
神社名  平尾八幡宮(ひらおはちまんぐう)
神社別名  
参拝日  2011/12/10
再訪日  2013/03/16
社格   村社
その他社格 
ご祭神  神功皇后、応神天皇、玉依姫命
由緒等  
平尾八幡宮年間祭祀

一月一日 元旦祭
五月十七日 春の大祭
七月十七日 夏の大祭
十月十三日 新しめ縄奉納
十月十七日 秋の大祭

平尾天満宮祭祀

九月二十五日 秋の大祭

平尾八幡宮由緒

平尾八幡宮は、慶長の始め(十七世紀前後)に創建の地、古宮より旧平尾村の北の小高い現在の場所にご遷座されたと伝承されています。御祭神には八幡大神(応神天皇)、神功皇后(応神天皇の母神)、珠衣姫命(神武天皇の母神)の三神をお祀りし、平尾の産土神(氏神・鎮守の神)として地域住民に崇拝されています。
当八幡宮の起源は社家の説では、始は旧平尾村の南へ五町(約五五〇m弱)ほど旧高宮村に寄った場所に創建されました。その古宮の地は、仲哀天皇と神功皇后が熊襲平定・三韓遠征のため船で瀬戸内海を航行して九州に入られ那の大津に上陸して小憩された地と伝えられています。又天正の九州遠征の折、豊臣秀吉公も仲哀天皇と神功皇后の吉例にならいこの道を通られたと伝えられています。その場所にいつの時代からか里人が社祠を建て崇め祭るようになりました。
享保一七年(一七三二年)の大飢饉の時は、平尾八幡宮が村人の生きる心の支えとなり村の安泰と発展の中心になりました。天明八年(一七八九年)には享保の大飢饉を振り返り、平尾村の発展と平和に感謝して村人により社殿が造営され、その後改修・改築を重ね今日に至っています。
明治五年には村社に改められ、大正十四年神饌幣帛供進神社の指定を受けましたが戦後は廃止されました。
それ以後、郷土平尾の鎮守の神として、家内安全、交通安全のご神徳で地域住民の広い尊崇をうけ平尾地域の発展に伴い平尾八幡宮の神域も大発展を遂げ今日に至っています。

平尾八幡宮年間祭祀

一月一日 元旦祭
五月十七日 春の大祭
七月十七日 夏の大祭
十月十七日 秋の大祭

平尾八幡宮 氏子一同

平尾天満宮の由来

天満天神(通称平尾天満宮)
場所 福岡市中央区平尾三丁目十街区
(現在は平尾四丁目平尾八幡宮境内祭祀す)

天満天神又の名を容見天神との言い伝えがある御社です。鎌倉時代には、住吉宮、櫛田宮、筥崎宮と共に、肩を並べる程の古い天満宮でした。
平安時代(西暦九〇一年)醍醐天皇の親任を得て右大臣としてお仕えしていた、菅原道真公(当時五十七才)は、左大臣藤原時平の慚言により、昌泰四年正月二十五日俄かに、大宰府権帥として、左遷されてしまい、昌泰四年二月京都を、出発され瀬戸内海を航海のあと、三月博多袖湊に入港された道真公は博多の街は如何なるものかと思われ高い丘より眺めるのが、最上と平尾山麓の丘の下に船を寄せられ、左遷の地に第一歩を印されたのが、ここ平尾天満宮の土地でした。
丘の上にあった石に腰かけて博多の街をつくづく眺め、京での右大臣として華やかな日を追想され今は冤罪に問われる身となり哀れな我姿(容見)を顧えり見られて万感胸に、迫る思ひがあったとか菅原公の胸中察するに余りあるものです。
四十川の岸辺に上陸されて、陸路大宰府、榎寺に入り居住され、延喜三年(西暦九〇三年)二月二十五日榎寺にて、五十九才の生涯を終えられました。
その後菅原公死去後、藤原時平の言ったことが事実無根と判明し朝帝より慰霊使を送り大宰府の安楽寺(現在の天満宮)に、廟を建て祭られた(西暦九〇五年・平安時代)のが、天満宮の起りです。

祭神 菅原道真公
祭事 九月二十五日

宮司 石橋一成
平尾八幡氏子一同
代表 柴田岩夫
ご朱印   
鎮座地区 福岡市中央区
郵便番号 810-0014
所在地  福岡市中央区平尾4丁目10-38
地図座標 33.573407,130.399993
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 八幡宮 [A00-0025]
【所在地】 福岡市大字平尾字乙宮
【祭神】 神功皇后、応神天皇、玉依姫命
【由緒】 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
【例祭日】 十月十七日
【神饌幣帛料供進指定】 大正十四年七月二十三日
【主なる建造物】 本殿、拝殿、渡殿
【境内坪数】 九百八十四坪
【氏子区域及戸数】 百四十四戸
【境内神社】 山神社
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公開日  2013/03/24
更新日  2013/03/24
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狛犬(阿形)
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境内風景
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社殿全景
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