[0117] 宝満宮(ほうまんぐう)
神社№  0117
神社名  宝満宮(ほうまんぐう)
神社別名  
参拝日  2011/12/13
再訪日  2013/02/10
社格   村社
その他社格 
ご祭神  玉依姫命
由緒等  
寶満宮略記

鎮座地 福岡市博多区空港前四ノ一三ノ三
神社名 寶満宮
祭神 玉依姫命
祭儀 例祭 四月二十四日 十月二十四日
境内
 二小祠(一、荒五郎大明神-牛馬の神 二、不詳)
 地蔵堂(堂内に「天保六年未四月・・・」の銘)
 石像ニ体(薬師如来、千手観音)
境内背後小山頂上 五穀大神
氏子数 五八世帯
旧社殿 弘化三年(一八四六年)建立
 本殿 神明造桧皮葺 間口一間奥行一間一坪
 渡殿 一間三尺 一間 一坪五合
 拝殿 三間 二間二尺 七坪
旧境内地 四〇九坪七六神社有地
旧社格 村社 明治五年十一月三日列格
神饌幣帛料供進指定 昭和八年十一月二日
新社殿竣工 昭和五十四年(一九七九年)三月

茲に鎮座する寶満宮は、「筑前国続風土記拾遺」によれば、宝満山麓旧御笠郡内山村(現太宰府市)に鎮座する竃門神社の祭神玉依姫命「神武天皇御母神」を、往時、上臼井村の三宅実秋、平田清蔵が信仰してはじめてこの地に勧請した産土神である。以来、氏子によって代々引き継がれ祀られてきている。勧請年月は不詳
稲作を主な生業とした時代は、山容秀麗な宝満山は、旧席田郡の広い水田地帯を潤す御笠川の水源となっており、水分(みくまり)の神信仰の山として尊崇されてきた。当集落をはじめとして御笠川水系に沿った集落には寶満宮が祀られて在る所もあり、水の神、五穀神として農業・農民を守護してきたと考えられる。
氏子の当寶満宮への崇敬は篤く、祭祀、造営等献身的に関与奉仕してきている。産土神をはじめ境内外に安置の小祠・仏像・石碑などはすべて氏子の加護賜り、また氏子は当氏子区の平穏、秩序、発展及び家々の招福、無病息災、家内安全、繁栄などを祈願する。古くより継承の伝統行事も絶えることなく、今も維持存続している。

平成十年十月吉日

町懐之碑

此の地は、福岡平野の中央部に位置し、江戸期より明治二十九年迄の村名は、筑前国席田村大字上臼井と称し、以後、筑紫郡席田村大字上臼井となる。
福岡藩「郡方覚」によれば、文化九年の席田村所属は、下臼井・上臼井・青木・平尾・雀居・下月隈・上月隈・立花寺・金隈の九ヶ村であった。
昭和八年福岡市に編入、福岡市大字上臼井町となり、平成二年二月二十六日、町名改称により、福岡市博多区空港前四丁目となる。
町名改称をするにあたり住民こぞって由緒ある町名を惜しみ、その変遷を記し後世に残す所以である。
福岡藩領で、江戸末期の上臼井の地積は、次のとおりであった。

田~五十三町余
畑~四町余
正租米~三百九一石余
戸数~三十九戸
ご朱印   
鎮座地区 福岡市博多区
郵便番号 812-0002
所在地  福岡市博多区空港前4丁目13-3
地図座標 33.594375,130.452679
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 宝満宮 [A00-0031]
【所在地】 福岡市大字上臼井字宮ノ前
【祭神】 玉依姫命
【由緒】 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
【例祭日】 十一月八日
【神饌幣帛料供進指定】 昭和八年十一月二日
【主なる建造物】 本殿、渡殿、拝殿、社務所
【境内坪数】 三百八十一坪
【氏子区域及戸数】 大字上臼井全体、五十六戸
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公開日  2013/02/17
更新日  2013/02/17
神社入口風景
一の鳥居
一の鳥居扁額
二の鳥居前
社号標
二の鳥居
境内前階段
注連掛石
社殿正面
手水舎
お潮井台
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿
拝殿神額
社殿全景
社殿全景
社殿全景
社殿全景
社殿左側境内風景
絵馬殿
神武天皇碑
地蔵堂
境内神社(不詳)
町懐之碑
由緒書き
石碑
 
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