[0147] 曰佐住吉神社(おさすみよしじんじゃ)
神社№  0147
神社名  曰佐住吉神社(おさすみよしじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2012/01/29
再訪日  2013/05/25
社格   村社
その他社格 
ご祭神  底筒男命、中筒男命、表筒男命、香椎大神、若大神、高良神、埴安比売神
由緒等  
曰佐住吉神社の由来

曰佐とは、上曰佐に百済・下曰佐に漢の訳語(通訳)の住んでいたところとして有名であるが、平成十二年外環状道路建設のための曰佐遺跡の発掘調査によって、此の地から先土器時代の遺物や縄文土器等が大量に発見され、明の時代の中国製輸入陶器や、平安末期から室町時代の集落跡も発見され、此の地域は六千年もの太古から先進的な人々が住んでいたことが考古学的に証明された。
神社の御祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命の住吉三神の外、香椎大神・若大神・高良神を祭る。
又、明治四十四年上曰佐の天神にあった地禄神社(埴安比売神)を合祀している。
神社の起源等を記した古文書は明治初期の竹槍一揆で焼失したが元禄六年に創建された旧社殿の棟札等の記録をもとに、明治の始めに松田敏足氏によって書かれた「曰佐住吉神社御由来考」によれば筑紫国、那の津口に官家(博多区比恵)が造営されてより、此の地方は中国大陸や、朝鮮半島との外船の往来するところとなり、曰佐はその応接の要地であったため、その航海の安全や鎮守の神として筑前那珂郡に住吉三社が居かれ、(上社は那珂川町の現人神社・下社は博多区の住吉神社)当社は、その中津瀬の神として祭られたもので、その起源は宣化天皇の御宇(五三六年)の前後であると記されている。
元禄六年(一六九三年)に創建された旧社殿は由緒ある古い建造物として、村長から県知事に報告された程の格式のある荘厳な社殿であったが、大正四年九月三日失火により全焼したため直ちに再建に着手、神殿及び幣殿は官幣大社香椎宮より古殿の払い下げを受け、絵馬殿は現那珂川町五ヶ山綱取より購入して村人総出でこれを運搬して大正七年六月三日に竣工した。
これに要した費用二千六百五十一円七十八銭は旧曰佐村の各区及び氏子全員の親戚縁者からの寄附によるものである。

年間例大祭

一月七日 追難祭
三月三日 潮干祭
四月三日 御田祭
七月三十一日 名(夏)越祭
九月十三日 初穂祭
十一月二十三日 相撲会祭(歩射祭)
十二月三十一日 晦日祭

平成十八年吉日 氏子 藤 淳
ご朱印   
鎮座地区 福岡市南区
郵便番号 811-1313
所在地  福岡市南区曰佐1丁目8-11
地図座標 33.541184,130.434709
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 住吉神社 [A00-0517]
【所在地】 筑紫郡曰佐村大字下曰佐字上ノマエ
【祭神】 底筒男命、表筒男命、中筒男命、香椎大神、若大神、高良神、埴安毘売神
【由緒】 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる、筑前続風土記拾遺に曰く那珂川(村の西)住吉神社村南二軒計りに在り相殿に香椎大神若大明神高良神をも祭る両曰佐村の産神なり。
元禄六年神祠宝殿重建棟札に筑前州灘県曰佐両邑所祭住吉神祠宝殿一宇下曰佐村農長藤氏平次常安興邑人及上曰佐邑人戮力以経営年中一定の祭日正月七日追儺祭二月七日御田祭三月三日潮干祭六月ニ十九日名越祭八月四日初穂祭九月十三日相撲会祭十一月歩射祭十二月ニ十九日晦日祭。
祭神埴安毘売神は大字上曰佐字天神の上無格社地禄神社として祭祀ありしを明治十四年六月三日合併許可。
【例祭日】 九月十三日
【主なる建造物】 本殿、拝殿、絵馬殿
【境内坪数】 四百八十五坪
【氏子区域及戸数】 曰佐村大字上曰佐、下曰佐 百ニ十戸
【境内神社】 素盞嗚神社(素盞嗚命)
コメント  
公開日  2013/06/04
更新日  2013/06/04
神社全景
鳥居
鳥居扁額
境内風景
手水舎
境内神社風景
境内神社、素盞嗚神社
板碑
板碑説明板
由緒書き
社殿正面
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
拝殿神額(手前)
拝殿神額(中央)
拝殿神額(奥)
拝殿内
社殿全景
社殿全景
社殿全景
社殿全景
社殿背景
絵馬殿
絵馬殿
絵馬殿内
絵馬殿内
境内一画の石碑
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