[0200] 飯盛神社中宮社(いいもりじんじゃちゅうぐうしゃ)
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飯盛神社中宮社(いいもりじんじゃちゅうぐうしゃ) |
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2012/02/26 |
2013/09/21 |
その他 |
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五十猛尊 |
飯盛神社中宮社
旧飯盛三所権現中宮社
御祭神 五十猛尊(有功神)
御神徳 森林守護の神(福徳円満・不老長寿・病魔退散)
創建 貞観元年己卯七月三日御神託
再建 平成十四年七月二十八日
御社殿 神明造り
例祭日 水無月の大祓(六月三十日夕方) 下元の節会(十月二十八日夕方)
標高 一二六、九m
由緒
抑も五十猛尊は伊弉冉尊の御孫様にて素戔嗚尊の御子神に当たられます
古へ神代の昔 天津神々の天孫降臨の砌 木種を持ち来給う父大神に率いられ 唐国に渡り遍く巡遊し到る処此を播き植え給いしが更に我国に還り筑紫より全国に亘りて植え広め給うこの故に此の神を有功の神とも申しあげます
又の名を大屋比古神とも申し武勇の猛く坐す由の名にて有り給えられます
清和天皇の勅願を帯びて定まれし御社なりしも文和二年九月十九日から戦禍により 飯盛社上・中・下宮灰燼に帰してより六百五十年先人達の中宮社再建の思いを此処に実現申し上げた次第であります。鳥居は明神鳥居としてアルミ合金製では日本一の偉容を誇っています
豊かな自然と森林環境を大切に心を養い福岡市の景観を楽しみ故郷飯盛山の名にし負う霊峰に相応しい山で在るようにと御祈願申し上げます
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西之宮(松尾社)跡地
飯盛宮古文書(一二六五頃)文永の文書に西之宮修理料田併せ五町とあり、当時盛んなりし頃の社跡でありいます
西とは、現在の飯盛神社の地から西方に在る由にて、筑前国続風土記に「松尾社跡本社の西竹林の中にあり、昔は池中の中島なりし」と
今にこの地を西の山と謂い、「元弘建武の乱に大宰少弐等の旗本の郡士等、此の山上に城を構えて度々戦い争いし時、御社も灰燼に帰し、辛うじて神体宝物の難は逃れたり」とこの松尾社跡に神体を納めし石函の蓋今も文殊堂内に残り、安置法要に勤めています
松尾ノ神は、京都嵐山に坐す神にて文武天皇の勅命にて勧請、御所の守護として火雷神を祀ります 当飯盛神社の創建も清和天皇の勅願(八五九)に因って建立された事を察すると諾成る事と存じます
茲に長き歳月の時を経て、再び小祠を祭祀し得る事は、神のご加護と祖先の導きによるものと深く感謝の心を捧げるところであります
一、祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)
一、鎮座 飯盛山上・中・下宮なりし貞観の頃かと
一、大歳神の御子にて、万物生成・幸運守護の神
一、祭日 五月 七月 十一月の三度、最初の卯の日
平成十六年神無月吉日鎮護
飯盛神社宮司 牛尾秀司
飯盛神社氏子総代会
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福岡市西区 |
819-0037 |
福岡市西区飯盛776 |
33.537985,130.304047 |
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未掲載 |
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2013/09/22 |
2013/09/22 |
神社全景 |
社号標 |
飯盛山案内図 |
飯盛山案内図改修記録 |
下元の節会の案内板 |
参道階段 |
神社正面 |
鳥居 |
鳥居扁額 |
手水舎 |
手水舎 |
社殿正面 |
社殿正面 |
狛犬(阿形) |
狛犬(吽形) |
由緒書き |
社殿全景 |
社殿全景 |
社殿背景 |
休憩所 |
神橋 |
石燈籠 |
中宮跡入口鳥居 |
中宮跡入口鳥居扁額 |
中宮跡入口注連掛石 |
中宮跡 |
中宮跡全景 |
飯盛山案内板 |
中宮社参詣道脇西之宮跡 |
西之宮跡全景 |
西之宮跡周辺風景 |
西之宮跡由緒書き |