大楠天満宮の由来
平安時代(西暦九〇一年)醍醐天皇の親任を得て右大臣として御仕えしていた菅原道真公(当時五十七才)は、左大臣の藤原時平の悪巧で一月二十五日無実の罪により、にわかに太宰府権師に左遷されてしまいました。二月京都を出発し瀬戸内海を航海のあと、三月博多袖の湊(現在の呉服町あたり)に入り、入り江深くにある四十川河口(現在の薬院あたり)に上陸し博多の地とは如何なるところかを見るため平尾の高台(現在の平尾天満宮)に上がり眺望されました。寒風の中を太宰府に向かう途中、この地の大楠の下で暖をとり暫し休息し、それから榎寺に向かい居住されました。しかし二年後、(西暦九〇三年)二月ニ十五日、えん罪の無念さと京都での日々を想いながら五十九才の生涯を終えられました。その後、藤原時平の言ったことがうそだとわかり朝廷より慰霊の使者が送られ安楽寺(現在の太宰府)に霊廟を建て祭られたのが天満宮の起こりです。その後、菅原公ゆかりのこの地にも大楠天満宮が建立されました。
祭事
一月一日 元旦
十一月二十三日 大楠天満宮大祭
菅原道真公没後一一〇〇年記念 平成十五年八月八日 氏子一同建立
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