[0302] 人丸神社(ひとまるじんじゃ)
神社№  0302
神社名  人丸神社(ひとまるじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2012/06/02
再訪日   
社格   無格社
その他社格 
ご祭神  上總景清の女人丸霊
由緒等  
人丸神社

人丸神社は源平合戦に哀史にまつわるお宮です。平景清は源頼朝に対する謀反の罪で日向の国へ流されました。その景清の娘である人丸姫は父を慕い京の都から九州まで来ました。しかし、長旅の疲れからこの地で病にかかりそのまま亡くなってしまいました。人丸姫の遺言は「父に会えずに死ぬことは心残りなので日向に向けて葬って欲しい」というもので、それに従って飛山に葬りました。
このように父を慕う姫の心情から、この人丸神社は子どもの無事成長の祈願参拝の場となっています。
平成十八年四月一日

人丸神社の催事
一月一日 元旦祭
四月一~二日 人丸神社大祭
四月九日 人丸神社社命日祭

人丸神社

人丸神社は源平合戦の哀史にまつわる神社で、平景清の娘「人丸姫」を祭神とします。
景清の妻は子供がないことを悲しみ神仏に祈り続けました。治承二年(一一七八年)三月十五日、朝日(旭)が上るとき懐妊を覚え女の子を出産しました。「旭」という字は「日」「丸」と書くことから、「人丸」と名付けたと言われています。
その後平家は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、景清は源頼朝暗殺を計画しましたが、事前に発覚し捕らわれ両目をつぶされて九州(日向の国)に流罪の身となりました。後に景清はこの地で亡くなりました。
人丸姫は幼くして母と死別し、京都北嵯峨の叔父の家で育てられました。十三歳の時、父景清に会いたい一心から乳母とともに京の都を旅立ち遥か西国の日向の国を目指しました。その旅の途中、筑前院内村(立花口)独鈷寺の末院(下府にあった)に父の旧友である僧を訪ねました。そこで父景清の噂を聞き一日でも早く会いたいと思いましたが、僧が思い止るように言い聞かせているうちに長旅の疲れから病気になり床に伏せるようになりました。周りの人々はいろいろと手を尽くしましたが、建久三年(一一九二年)十一月九日に人丸姫は亡くなりました。
死ぬ間際に人丸姫は、「父に会えずに死ぬことは心残りなので、私が死んだら塚を築いて印に松を植え、日向に向けて葬って下さい。」と頼みました。その遺言に従い、飛山(神社がある丘陵の小字名)に葬りました。
幼少の頃、父を慕ってはるばる京都から下府まで来て病没の身となった姫の心情から、この人丸神社は世の親として子供の無事成長の祈願参拝の場となっています。

平成十八年 新宮町教育委員会
ご朱印   
鎮座地区 糟屋郡
郵便番号 811-0113
所在地  糟屋郡新宮町桜山手2丁目21-13付近
地図座標 33.704687,130.436708
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 人丸神社 [A00-1894]
【所在地】 糟屋郡新宮村大字下府字日下
【祭神】 上總景清の女人丸霊
コメント  
公開日  2012/07/21
更新日  2012/07/21
神社入口全景
一の鳥居
一の鳥居扁額
人丸神社案内板
参道
二の鳥居
二の鳥居扁額
人丸神社由緒
社殿正面
手水舎
社務所
社殿全景
社殿背景
     
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