大名持神社由来の碑
この神社はその昔、多々良川のほとり須崎(大橋・浜田)の景色のよい丘にあって大名持神社と呼ばれ、大名持の神(大国主神・大黒様)をお祭りし、大橋・浜田の守護神として、また香椎宮の末社として今日に至っています。
大名持神社祭神建立
正徳二年(一七一ニ年)四月十八日
毘沙門天(多聞天)
天の須弥山の北方を守護し、財宝富貴を司り、仏法護持の善神である。子宝を授かる信仰も強い高野山の毘沙門天、京都鞍馬の毘沙門天は名高い。像のすがたは鳥形の冠、甲冑、左手に塔、右手に宝棒をもち七福神の一人である。常に仏の道場を護り、常に説法を聞くが故に多聞という。軍神としての信仰も強く、戦勝護国の仏神武神と両神として信奉されている。
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