[0325] 古野三寶荒神宮(ふるのさんぽうこうじんぐう)
神社№  0325
神社名  古野三寶荒神宮(ふるのさんぽうこうじんぐう)
神社別名  
参拝日  2012/05/26
再訪日  2013/04/21
社格   不詳
その他社格 
ご祭神  古野三寶荒神
由緒等  
荒神宮御由緒畧記

御祭神 古野三寶荒神
 清三宝荒神尊王霊璽奉齋 宝塚市(清澄寺) 日本第一清荒神

鎮座年代不詳
荒神は往昔から香椎の(まほろば)の地、前面に古来歌書に有名なる香椎潟及海上遠く海の中道 志賀 能古の諸島を望み、横に立花山 三日月山の翠巒を景勝の地にして樹木の繁茂する中に赤松も数多に季節には松茸の取れることでも知られている。
通称荒神山の聖地に鎮座し給ふ荒神様は祠を建て神霊を祀り給ふ是れ荒神宮の濫觴なり(明治代の記録より)江戸期には庶民信仰の原点ともいわれる荒神さん弁財天さん稲荷さんの三大民族信仰が盛んな時代であったが、明治初年の神仏分離が制定され祭祀に軽重はなかりしが、時世の変遷により何時しか村人の管理も手薄となり、香椎宮の麓の山林に祠を建て祭祀されていたが、香椎宮の神職に幾度の神の御託宣をいただき、昭和六十年再びこの地に御遷座され四時遠近より参拝多し

御神徳の御教え
古野三寶荒神宮へ参詣し鈴を振る者は先づその台所を預り給う荒神様のミタマに祈り、その神格に霊通して奇しくも妙なる御導びきと御守りを拝受して火難 防除 家内安全 交通安全 厄除 災難解除等祈念し以てミタマの御働きに浴して自らを改め正し汝自信は勿論のこと汝の家、汝の親族の罪と穢れを悉く祓ひ清むる霊働のつとめに進、大御心、大御光をいただき諸願成就を達成することを日毎に祈りましょう

荒神信仰

荒神信仰には多様な信仰形態が見られるが、大きく分けて、屋内に祀られる火の神としての荒神と、屋外に祀られる土地の神としての荒神とがある。また、農耕神としても信仰され、特に牛馬の守護神ともされる。
屋内において荒神は、生活上火を扱う場所に祀られ、火の神・火伏せの神・竈の神としての性格を持つ。これが習合神・三宝荒神と結びついている。三宝荒神とは仏・法・僧の三宝を守る仏法の守護神であるが、穢を忌む性格から火・竈の神と習合し、祇園社における牛頭天王の眷属神とも考えられた。
この神は経典に本拠がなく、両部や陰陽道が創り上げたとされるが、民間では広く信仰され、炉や竈の近くに神棚を設け祀られる例が多い。荒神社の祭神は様々であるが、奥津日子神・奥津比売神、火産霊、迦具土神など主に火の神を祀る神社が多く見られる。
奥津日子神・奥津比売神とは『古事記』に見える竈神である。竈神の祭りは、『続日本記』天平3年(731)の条で「神祇官、秦 三 庭火御竈四時祭祀、永為 二 常例 一 」とされ、中世には陰陽師が司るようになった。また近世に入ると、火の神の祭として修験・山伏による荒神祓・竈祓が行われた。竈神は地方によって名称が異なり、東日本ではオカマサマ、西日本では荒神さま、東北地方では特にカマオトコ・ヒオトコなどとして祀られている。
一方、屋外に祀られる荒神は、屋敷神・同族神・部落神としての性格を持ち、この信仰は中国地方・瀬戸内・北九州など西日本を中心に広く見られる。屋内外いずれにしても、荒々しく祟りやすい神とされ、『古事記』『日本書紀』に見える「荒神」「荒振神」とも結びつけられていると考えられる。荒神がこうした多様な性格を持つに至った背景には、中世以降の陰陽師・祈祷師の関与や、修験・山伏による民間への影響が大きかったと考えられている。
荒神社の数は広島県が突出して多く、次いで兵庫県・岡山県に集中している。分布は中国・四国を中心に西日本に多いといえる。西日本では竈神を「荒神」と呼び、東日本では「オカマサマ」と「荒神」を併祀する例が多いことも分布と対応していると考えられる。広島県においては、備後地方の特に福山市や府中市周辺に多いが、この大多数が小祠である。これは備後地方で小祠の統廃合が比較的ゆるやかだったことが一因と考えられる。このことから、神社統廃合以前は他の地域でも、家内での祭祀だけでなく荒神を祠・社に祀ったものもあったことが推測される。
ご朱印   
鎮座地区 福岡市東区
郵便番号 813-0011
所在地  福岡市東区香椎2丁目23-12
地図座標 33.659197,130.450719
公式HP   
福岡県神社誌未掲載
コメント  
公開日  2012/07/21
更新日  2013/04/28
神社入口
参道階段
鳥居
鳥居扁額
社号標
神苑
手水舎
手水舎内祭日表
荒神信仰説明板
荒神宮御由緒畧記
社殿正面
拝殿神額
社殿全景
本殿
本殿背景
社殿裏庭風景
社殿裏庭風景
神札授与所
   
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