[0352] 愛鷹神社(あしたかじんじゃ)
神社№  0352
神社名  愛鷹神社(あしたかじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2012/05/26
再訪日  2014/12/28
社格   無格社
その他社格 
ご祭神  彦火々出見尊、豊玉姫命、鵜草葺不合尊
由緒等  
愛鷹神社

御祭神
神彦火火出見尊
豊玉姫尊
鵜草葺不合尊

祭事
春祭 四月
御田植上り祭 六月
夏祭 七月
秋祭 九月
宮座 十一月二十一日

由緒
御祭神「神彦火火出見尊は山幸彦とも称し狩猟の鷹狩りで鷹を愛したまう。故に愛鷹の社号をつける」とあり、愛鷹神社として谷山村南方最高峰、標高二百六十三米の聖地の大目配山に平安時代中期の天徳二年に創建されたと推定される。
永享三年二月十五日に現在地古賀市谷山二〇七番地へ遷座する。山頂の跡地には当時の社殿の礎石や瓦の破片が今も残存している。昔、海幸彦と山幸彦の神話にある山幸彦はヒコホホデミノミコト、海幸彦はホノスソリノミコトの別名で、ヒコホホデミノミコトが海神の宮(ワダツミノミヤ)に行かれると豊玉姫が居られ彦火火出見尊は一目惚れされ妃にされた其後豊玉姫命は御懐妊され急遽産屋を作りを鵜鷀草で屋根を葺き終わらない時に御子神が御降誕されたのでその御子神を鵜草葺不合尊と名付けられた。この御両親「神彦火火出見尊」「豊玉姫尊」とお子の「鵜草葺不合尊」を祭祀したのが愛鷹神社でアシタカジンジャとかアシダカサマと現在でも呼称している。
旧暦十月九日の祭日には海より社前の谷山川に鮭魚が上り来る事あり海津見神の御使いと言い伝えられていたが、ここ数十年余、鮭の姿を見る事は無かったが社殿を新築再建した平成十八年十一月谷山川下流の花鶴川で鮭を捕獲確認されたのも御神威の賜物であろう。
祭神は白いものが嫌いで神社参拝の時は白いものをみにつけないようにしてた。大目配山から眼下に玄界灘の勝景が視望され通行する帆掛船は敬意を表わし白い帆を下ろして通過した。無視すると災いをうけたと云う。
神威高揚で崇敬されてる愛鷹神社は漁夫の豊魚、狩人の狩猟祈願、安全祈願、五穀豊穣、人畜平安、無病息災、平癒祈願、雨乞祈願も多く其の奉賽に履物を供える慣習が定着していた。これは愛鷹(アシダカ)に馴染んだものであろう。

古碑文
拝殿前の石灯籠その脚部に刻まれている年号は石質がもろくて風化して判読できなく年代は不明である。多分大目配山から遷座した時の年代と思われ星霜千余年経過したものと推測される。

経緯
天徳二年(九五八) 大目配山に創建
応和二年(九六ニ) 神殿再建
永保元年(一〇八一) 神殿再建
正和二年(一三一三) 神殿再建
永享三年(一四三一)二月 現在地に遷座
昭和三十三年十一月 千年大祭 社殿改修
昭和五十年 神殿の屋根を銅板に葺き替え
平成十五年十二月 境内に大山祇神社新築
平成十八年十一月 社殿再建

古賀市谷山河内一・一番地 通称大目配に遷座され、永享三年二月に現地に御鎮座され今日まで祭事が取り行われて来た。昭和三十三年十一月千年大祭を期に社殿の大改築工事がなされていた。其の後桧皮葺であった神殿の屋根の痛みが酷くなり昭和五十一年現在の銅板に葺き替えられていた。しかし、社殿拝殿は年を重ね風雪に耐えては来たが老朽化し年々痛みが酷くなり神殿の基礎に狂いが生じ特に拝殿は壁窓も無く粉塵等に依る汚れも酷く床は傾き屋根は破れ正に崩壊の危機を迎えていた。
平成十五年十二月に同境内に新築された大山祇神社に相応しく成る様数百年に一度の大事業として拝殿、渡殿、御手洗舎の新築工事に着手した処氏子並び崇敬者の甚大なる御理解のもと多大なる浄財を賜りここに一大事業が完成する事が出来た事に対し敬意の記しとしてご寄進者の御芳名と関係諸氏の名を留め今後益々の敬神の念を続願します。

平成十八年十一月十二日

大山祇神社

御由緒
人類がこの世に出現した太古より住民の信仰として最初に山の神が祀られて来たようです。春になり山の木々が新緑をかもし小鳥の囀り冬眠よりさめた獣たちが活動を始めると山の神は山より里に下りて来て里の神となり農耕を支配し作物の生育を見守られる。やがて実りの秋、豊富な食料が収穫出来る頃になると里の神は再びもとの山に帰られ山の神として山を守護されます。春は神を迎え歓迎のお祭り、秋は五穀豊穣のお礼の祭りとして神を山へお送りして来ました。
この時の神は名もなくどんな神様かまったく不明でしたが山の鎮守の氏神として崇敬されていたとの伝承はあるが創立年代は不詳でした。私たちがお祀りしている山の神は大山祇神で全国に一〇三二六社あり、其の一社であり総本社は愛媛県越智郡大三島町宮浦字榊山(二七〇八九㎡)で今度、神殿拝殿を新築するのを期に今日まで山の神と称していたが今後「大山祇神社」と呼称する。
尚、神名の「大山祇」の意を調べてみると「大」は聖なるものを尊敬する意を表し「山祇」は「山神等を山祇と号す」と記するように山の神のことであり、よって大山祇とは「聖なる山の神霊」との意になる。

経緯
山の神としてお祀られていたお宮は大正十二年迄、谷山村谷別当三四〇番地にあったが大正十二年八月四日、現在地に新しく鎮座されて居たが神殿と拝殿が合体でしかも手狭く祭典するにも事欠いて居た。建設後八十一年過ち風雪に耐えていたが傷みがひどくなり昭和五十五年修理増設されていた。しかし其の後老朽化は日増に進み正に崩壊の危機を迎えて其の対応に迫られて居たが、数百年に一度の大事業として神殿拝殿を併せて新築する計画を企てた処、氏子並崇敬者の多大の浄財を賜り神殿拝殿同時着工する事が出来、ここに事業の完成を記念してご寄進して戴いた崇敬の御芳名と関係諸者を記し今後益々の敬神の念を続願する。

平成十五年十二月十四日
ご朱印   
鎮座地区 古賀市
郵便番号 811-3125
所在地  古賀市谷山341
地図座標 33.707625,130.505181
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 愛鷹神社 [A00-1733]
【所在地】 糟屋郡小野村大字谷山字河内
【祭神】 彦火々出見尊、豊玉姫命、鵜草葺不合尊
【由緒】 応和二年永保元年正和ニ年の社殿再建記あり、永享三年辛亥二月十五日大目配山より移転、社前に川あり古賀にて海に入る。十月祭日鮭魚上り来る事有り、社説に海津見神の御使なりと云ふ、早歳に雨を祈ればす験有り、大祭には神職打集り神楽を奏する古来の例なり。
【例祭日】 十一月九日
【主なる建造物】 本殿、渡殿、拝殿、社務所、鳥井等
【主なる宝物】 仮面二個
【境内坪数】 九百九十七坪
【氏子区域及戸数】 粕屋郡小野村大字谷山 三十五戸
【境内神社】 山神社(大山祇神)
コメント  
公開日  2015/01/04
更新日  2015/01/04
神社全景
神社前風景
鳥居
鳥居扁額
手水舎
社殿正面
拝殿神額
拝殿内
社殿全景
社殿全景
本殿
本殿
社殿全景
平成御大礼記念樹
境内風景
旧山之神跡標碑
境内神社、大山祇神社正面
境内神社、大山祇神社拝殿内
境内神社、大山祇神社全景
境内神社、大山祇神社本殿
愛鷹神社由緒書き
境内神社、大山祇神社由緒書き
   
▲TOP