森の屋敷
八世紀のころ香椎宮の廟司(神官)として武内宿弥とともに京都から下った和気重春(神功皇后の直臣中臣烏賊津臣命の家系)は香椎宮の神領である三苫郷を与えられ、三苫に住居を構え、姓を「三苫」と改め代々領主として三苫郷を領有し、香椎宮四党の一つとなった。西暦一五六四年には三苫家三十三代基宣は香椎大宮司に就任している。ここを「森の屋敷」と呼んでいるが、「三苫家」代々の屋敷跡ではないかと想像される。
なお、「森の屋敷」と呼ばれるこの敷地は、綿津見神社の飛び地境内地となっている。
また、ここに鎮座されている稲荷社は、大正のころまで近郷の漁師たちが捕れたての新鮮な魚を持って豊漁のお祈りとお礼に参詣していたとのこと。
また、物をなくしたときに、ここの稲荷社にお祈りすると、無くした物が出てくるというので、多くの人が参拝していた。
(三苫郷土史より)
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