[0378] 駕与八幡宮(かよいはちまんぐう)
神社№  0378
神社名  駕与八幡宮(かよいはちまんぐう)
神社別名  
参拝日  2012/05/05
再訪日  2013/09/05
社格   村社
その他社格 
ご祭神  応神天皇、神功皇后、玉依姫命、住吉三柱神
由緒等  
駕輿八幡宮の祭神と由来

一、駕輿八幡宮の祭神について
神功皇后、応神天皇、玉依姫命(神武天皇の母君)、住吉大神の四柱神です

二、駕輿八幡宮の由来について
このお宮は、神功皇后が応神天皇を出産されるため香椎の宮を出発され宇美八幡宮に行幸されたときこの地で休息されたので、ここに住んでいた人々が祭神したのが、駕与八幡宮の由来とされています。

三、駕輿丁という名称について
日本に律令国家が設けられた大化二年(六四六年)四府と呼ばれる四つの官庁の一つに、駕輿丁座(天皇が外出されるとき乗りものをかつぐ人々の組織)がありました。そもそも駕輿丁の「駕」とは乗りものの意味で「輿」とは神輿(神のみたま)のことで「丁」とは仕丁として身分の高い人を運ぶ人々(集団)をさします。この人々は南側の階段から、さらに池に降りる階段の下に集団で住んでいましたが、この池が江戸時代に築堤されたので、山(十原)・十原・切内・中通り・四軒屋・平原などに移住して住んだといわれています。

四、駕輿丁座の変遷について
この座は、律令国家が力を失うとともにおとろえますが平安時代、藤原氏が政治を行うようになると各地の荘園から駕輿丁を集めたといわれています。ところが豊臣秀吉のとき、この駕輿丁座は解体させられ全国から姿を消しますが、京都の八瀬地区の方々は天皇の行幸や葬儀などのとき、天皇の乗りものをかつぐ役目で、輦台に加わっています。駕輿丁という名称は残っていません。現在、駕輿丁という名が残っているのは、日本中で、この地域だけで、歴史上、誠に意義深い地名です。

社殿新築記念

一、祭神
応神天皇、神功皇后、玉依姫命、住吉三柱神

一、鎮座
粕屋町仲原字駕輿丁

一、境内面積
一九六六坪

一、由緒祭祀
神功皇后香椎より宇美に行き給ふ時仲原の村人神輿をかきこの地に御休息になったので地名を加輿丁と称し後世に加輿八幡宮を奉斎した。
これが祭祀運営管理には専ら六座(安河内市郎、安河内静夫、小西又右ヱ門、小西亀代松、安松徳、安河内勇喜氏の六家)が当って来られたのであったが協議の結果民主的に六座の制を廃止し各組合の担当とした。

一、社殿社務所新築
旧社殿は弘化四年今より百二十五年前に再建せられた木造であったが今度鉄筋コンクリート造に改築、これの財源として神社前面の社有地七四七坪を売却した。
新築請負工事費七八八五〇〇〇円

附記
旧社務所は安松芳輔氏の寄付されたのであった。
ご朱印   
鎮座地区 糟屋郡
郵便番号 811-2309
所在地  糟屋郡粕屋町駕与丁3丁目9-1
地図座標 33.608295,130.481653
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 駕与八幡神社 [A00-0122]
【所在地】 糟屋郡仲原村大字仲原字加輿丁
【祭神】 応神天皇、玉依姫命、神功皇后、住吉三柱神
【由緒】 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。元当郡上仲原村と称し一村落なりしを明治八年中仲原村へ合併す。
【例祭日】 十月十三日
【主なる建造物】 本殿、拝殿、社務所
【境内坪数】 一千六百三十四坪
【氏子区域及戸数】 乙仲原、四軒屋 約百戸
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公開日  2012/06/24
更新日  2013/09/29
神社入口風景
一の鳥居
一の鳥居扁額
注連掛石
参道風景
境内風景
五穀神
手水舎
石灯篭
三の鳥居
三の鳥居扁額
参道風景
社殿正面
社殿正面
社殿新築記念
由緒書き
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
小狛犬
ご利益
社務所
福岡県神社庁ポスター
拝殿内
拝殿神額
拝殿内
社殿全景
社殿全景
本殿
社殿背景
社殿背景
   
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