【社名】 太祖神社 [A00-0064]
【所在地】 糟屋郡勢門村大字若杉字石ヒシギ
【祭神】 宝満大神、天照皇大神、八幡大神、伊弉諾命、志賀大神、住吉大神、聖母大神
【由緒】 祭神伊弉諾命は神代よりの御鎮座なり其鎮座し給ふ由緒は深遠にして比類稀なる旧社にて国土を化成し万民の始祖とましますが故に(若杉大祖神社は伊弉諾命を祭りし事は八幡託宣集神祇の秘抄等参照)神功皇后三韓御征討の節香椎宮にて大臣武内宿禰を召して異敵征伐の御廟算あらせられ給ひしに、能く諸神を祈り祭り給へと神託有りしかば即ち天神地祇山神海神まで盡く祈り祭り給ひ、中には此伊弉諾命へは御祈誓を込め給ひ御手つから本社の御神木を手折り鎧袖に納め御征討ありければ顕著なる御神明の冥助を得たまひ、刃に血ぬらずして凱旋の後、御身の守に持たせ給ひし杉の枝蒼色を変ぜざりければ香椎宮の社前にさして後葉のしるしと誓ひ給ひける其の事空しからず枝葉茂り繁茂す(今の綾杉なり分杉の名も是より起る後世若杉と云ふは訛れり)皇后終に報賽として山頂に社殿を改造し給ひしを始とし、上古より神徳顕著にして上下の尊崇厚き神社なり中古に至り伊弉諾命を中座とし右側に八幡大神・聖母大神・宝満大神を祭り、左側には天照皇大神・志賀大神・住吉大神を祭れり。聖武天皇仏法に帰依し給ふ事深ければ天下の大社に宮寺を立て神仏混合に祭らせ給ふや、此時当山にも多くの宮寺を建てられ、其寺号を延年寺・太祖寺三蔵院と云ひ、後には寺家益々繁盛し左谷(今に佐谷村と云ふ)右谷(今の若杉村と云ふ)の両所に分れて三百有余の僧坊あり、神田も当郡各地に三百有余町ありしも天正兵乱以降三百余の坊舎悉く灰燼となり、三百余町の神田も悉く散失し復た再興の挙なかりき。
慶長五年黒田長政公当国を領せしより、神田寺領の事は皆先国主の例に随はせられ、当社にも神田を附せらる、然るに荒廃の久しき一旦社頭を守るものなきを愁ひ竃門山亀石坊有辨と云ふ者をして若杉村に居らしめ、右谷の法頭職の居たりし廃寺を再興して是に住せしめ当社の祭祀を司らしめ、社殿修繕及改築の事は一切藩主黒田家より累世御挙行ありて粕屋郡の宗廟とし、上下の崇敬最も厚く社殿改築其他一切祭祀等は旧粕屋郡四十八箇所より之を行ひ来りしも、明治維新神仏混祭を禁ぜられ明治五年十一月三日郷社に定められ、明治二十九年五月四日県社に列せらる。
【例祭日】 十一月七日
【神饌幣帛料供進指定】 大正元年十一月一日
【主なる建造物】 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、神饌所、水屋
【主なる宝物】 縁起一巻
【境内坪数】 二万九千坪
【氏子区域及戸数】 五十三戸
【境内神社】 北山神社(大国主神、加茂明神)、日吉神社(大山咋大神)
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