香椎宮御由緒によれば、当社は香椎宮の末社とされ、以下の記載がある。
綿津見神 一座
例祭 八月十五日(陰暦)
「香椎宮の西、浜男と云ふ所の浜、是即ち橿日浦なり。ここより八、九町ばかり沖に大岩あり。是を御島と云ふ。則ち、皇后のいたり給ひて、御髪をすすがせ給ひし処なり。岩島にて其の上に御島神社の社あり。」
-八幡本紀-
「皇后、還りて、橿日浦に詣りまして、髪を解き、海に臨みて曰はく『吾、神祇の教を被け、皇祖の霊を頼り、滄海を浮渉りて躬ら西を征たむと欲す。是を以ちて、今、頭を海水に滌がむに若し験有らば髪自ら分れて両に為れ。』と、即ち海に入りて洗ぎたまふに髪自らに分れぬ。皇后便ち髪を結分げたまひて髻に為たまふ。」
-日本書紀-
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