[0596] 御自作天満宮(ごじさくてんまんぐう)
神社№  0596
神社名  御自作天満宮(ごじさくてんまんぐう)
神社別名  
参拝日  2015/08/08
再訪日   
社格   無格社
その他社格 
ご祭神  菅原道真公
由緒等  
御自作天満宮

当神社は菅原道真公に由緒深い天拝山麓の清浄なるこの地に鎮座しています。御神体は菅公御在府中当時勅願寺椿花山武蔵寺へ御参籠の時自ら御尊体を彫刻され(此の場所を天神の森という)同寺境内に安置され後に当地に奉遷し現在に至る迄御自作天満宮と称し奉斎されております。
右神社宇多天皇弘安年間武蔵寺境内に在りし頃は社殿の構造は最も宏大で美を極めていたと伝へられ建武、天正の兵火にあったが元禄五年旧藩主立花増弘現在の地を撰び社殿を再建し第十一代孫立花吉右衛門増弘境内を整理し石鳥居を建立したが明治四年再び火災にあい古来の由緒等旧記其他焼失したが御自作の御神体は損傷もなく厳在し明治十四年崇敬者により社殿又大正二年拝殿を再建され奉斎されております。

祭礼日
初天神祭 一月二十五日 午前十一時
春季大祭 四月二十五日 午前十一時
秋季大祭 十月二十五日 午前十一時

●当日は御開扉がございますのでご尊像を身近くで拝礼できます。

御神徳の一例(文献による)

黒田甲斐守義隆が筑前の国の領主となりこの天満宮に参詣した時何と思ったのか、づかづかと御神殿に近づいて御扉を開き中をのぞけば菅公の御木像が安置してあったので義隆は「かっ」と御木像につばを吐き掛け「我は此地の領主なり、汝如き一塊の木像に頭を下げたのは返すがえすも不覚であった。つば吐き掛けて罰があたるというなら早速罰をあててみよ。」とののしって腹立たしげに立ち去りました。義隆は翌日また来て再び御神殿の御扉を開けてみましたが不思議なことに御木像は影も形もなく、その代りに時候はずれの寒紅梅がふくいくと一面に咲きみだれていました。これにはさすが剛慢な義隆も恐縮し「これはまさしく御神霊おわすと見受けましたが昨日暴言を吐きましたる以上は義隆決して神罰をおそれはいたしませぬ。もし罰を御許し下さるならば御徳とあらわす為、又私の罪ほろぼしにいささかの考えが御座います。」と平板石に「筑前五十二万石領主黒田甲斐守義隆」とその名を刻みて社前に埋め参詣人の土足に踏ませて御わびをいたしました。その石は地下にまだあるはずでございます。
ご朱印   
鎮座地区 筑紫野市
郵便番号 818-0052
所在地  筑紫野市武藏大字623
地図座標 33.488836,130.508196
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 天満神社 [A00-1751]
【所在地】 筑紫郡二日市町大字武藏字武藏寺
【祭神】 菅原道真公
【由緒】 抑々本社は天拝山下宮と称し菅原道真公を勧請し奉り、毎年三月二十五日を以て例祭とす。古来御笠郡武藏村に鎮座後後宇多天皇弘安年間は武藏寺境内にありて、其の殿構造等最も宏大なる社殿ありしと言伝ふ。元禄五年旧藩主立花増弘更に社地を天拝山下に擇ひ、社殿を再建し、現今の地に奉遷し社司圓智坊有之しも明治四年火災に罹り古来創立の社殿並に由緒旧記等焼失して御神体のみ遺存し給ふ、其後明治四年中信徒中より再建す。
【例祭日】 三月二十五日
【主なる建造物】 本殿、拝殿、玉垣、鳥居、注連掛石、高麗物
【境内坪数】 百七十七坪
【氏子区域及戸数】 三千人
【境内神社】 白瀧稲荷神社
コメント  
公開日  2015/08/23
更新日  2015/08/23
神社入口風景
一の鳥居
一の鳥居扁額
社号標
参道風景
参道脇歌碑
神霊水
御自作天満宮看板
参道階段
注連掛石
境内鳥居扁額
社殿正面
由緒書き
御神徳の一例
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
手洗鉢
拝殿内
社殿全景
社殿全景
本殿
本殿
社殿背景
社殿全景
境内神社、老松神社
境内神社、老松神社
神社脇鳥居
神社脇鳥居扁額
社務所
天拝白梅
境内神社、白瀧稲荷鳥居
境内神社、白瀧稲荷鳥居扁額
境内神社、白瀧稲荷由緒書き
境内神社、白瀧稲荷参道風景
境内神社、白瀧稲荷全景
境内神社、白瀧稲荷正面
境内神社、白瀧稲荷社殿神額
紫藤の滝鳥居
紫藤の滝鳥居扁額
紫藤の滝全景
紫藤の滝説明板
紫藤の滝
紫藤の滝脇大日如来
神社傍歌碑
神社傍歌碑説明板
     
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