金掛天満宮 御祭神 菅原道真公
由緒
後土御門天皇の御世、明応の年、今より五〇〇年の昔、古川家当主第五十八代に勝時という人あり。勤勉にてその財を成したが、大旱魃起こりて凶作が続く。飢饉を訴える人は道に溢れ、餓死する人もその数知れず。勝時、私財を投げ出しこれを救い助く。しかるに、古川家は家運傾き、衰退の一途を辿り、子孫困窮す。
次代勝政、家を挙げて庭内の天神の祠に祈念す。されば、夢中で白髪の老翁が出現し、梅の枝に黄金の袋を掛置くを告げる。翌朝早く起き出てて祠に詣でれば、果たして之あり。これより、家運再び興りて相承け相継ぎて今にある。時の人の曰く「積善の余応天の賜なり」と。これ、この祠を金掛天満宮と称え申し上げる所以なり。
因に、この祠、菅公御自作の宇多上皇像を建久九年に奉祀したことを創建とする。境内には、御維新の前、都落ちの為、太宰府延寿王院に逗留せし、三条実美公がこの古川家を訪ね来て、金掛けの梅を詠じた和歌あり。
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