[0999] 勝浦岳神社(かつうらだけじんじゃ)
神社№  0999
神社名  勝浦岳神社(かつうらだけじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2015/09/12
再訪日   
社格   不詳
その他社格 
ご祭神  不詳
由緒等  
当地は「勝浦」地名発祥の地です

「勝浦」神功皇后、新羅にかちて帰り この地にあがらせ給う。故にかつらと名付くと云う。貝原益軒(1630~1714)の「筑前国、続風土記」より

今から約1800年以上前の西暦200年頃、仲哀天皇と神功皇后(第15代応神天皇の母)が都(奈良)から少数の家来を連れて三韓(新羅)征伐のために当地勝浦へやって来ました。
ここで宗像水軍や勝浦人を結集し征伐の戦略を練り、203年桂嶽(勝浦嶽)へ登り必勝祈願を行い、205年勝浦浜(桂浜)と神湊から対馬海神族や宗像水軍を水先案内人にして、神功皇后、武内宿禰等(仲哀天皇は死亡したため出兵出来ず)が征伐へ出兵しました。
勝利を納め206年に帰還し、この年瀬戸内海を通り都へ凱旋する路々で、ついて行った勝浦人たちに褒美(論功行賞)としてそれぞれの土地が与えられ、与えられた者が「阿波勝浦」「那智勝浦」「(高知)桂浜」等々、全国10ヶ所以上に「勝浦」の名がつけられたと伝えられています。
当時、漢字はなく呼び名がそれぞれ違っており「かつうら」「かつら」「かちうら」と呼ばれその後漢字が根ついた頃「勝浦」「桂」になったと思われます。当地も、今でも「勝浦浜」を「桂浜」と言ったり「勝浦嶽」を「桂嶽」と呼び区別がついていません。「勝浦」は勝った浦「勝島」は勝ったところにある島「勝浦浜」は勝った浦の浜「神湊」は神功皇后の湊と伝えられています。
私たち、勝浦に住む者は先人が残したロマン溢れるこの宝(財産)をシッカリ、後世に引き継いで行くことが使命であると思ってやみません。

西暦2008年(平成20年)7月 勝浦古代ロマンを語る会
ご朱印   
鎮座地区 福津市
郵便番号 811-3521
所在地  福津市勝浦2807付近
地図座標 33.826154,130.494775
公式HP   
福岡県神社誌未掲載
コメント  
公開日  2015/09/20
更新日  2015/09/20
神社入口風景
神社案内標
勝浦地名説明板
神社全景
境内風景
注連掛石
祠正面
祠正面
桂岳登山道風景
桂嶽中腹鳥居
桂嶽神社鳥居
桂嶽神社鳥居扁額
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