[1074] 七社宮(ななしゃぐう)
神社№  1074
神社名  七社宮(ななしゃぐう)
神社別名  
参拝日  2017/03/11
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神  国常立尊、国狭槌尊、惶根尊、忍穂耳尊、大己貴尊、瓊々杵尊、伊弉諾尊
由緒等  
神代の神々をまつる石丸・赤間の鎮守の杜
七社宮 (七社神社ともいう)

[いわれ]
この地は、古墳でした。また、弥生時代の食料貯蔵倉もあり、昔の人々にとっては聖なる地でした。
飛鳥時代である、七世紀の西暦六七四年(天武天皇白鳳二年)に、里人が四社殿を造営して七柱の神をおまつりしたのが、この七社宮です。
この地について、次のような神話が伝えられています。「神武天皇が、当地をお通りになった時、道に迷われました。その時、赤い馬に乗った威容のある老人が現れ、天皇をご案内しました。そして、姿が急に消えました。里人はこれは神がお導きになったと信じ、この地を神地としてあがめました。」

[おまつりしている神]
国常立尊
国狭槌尊
惶根尊
忍穂耳尊
大己貴尊
瓊々杵尊
伊弉諾尊

五穀豊穣・家内安全を守り給う

祭神
国常立尊
国狭槌尊
惶根尊
忍穂耳尊
大己貴尊
瓊々杵尊
伊弉諾尊
ご朱印   
鎮座地区 宗像市
郵便番号 811-4147
所在地  宗像市石丸2丁目8
地図座標 33.806691,130.594236
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 七社神社 [A00-0173]
【所在地】 宗像郡赤間町大字石丸字宮ノ下
【祭神】 国常立尊、惶根尊、大己貴尊、伊弉諾尊、国狭槌尊、忍穂耳損、瓊々杵尊
【由緒】 人皇四十代天武天皇御宇白鳳年中始て此地に斎祭すと近くは宗像大宮司氏貞厚く信仰し寄附田等も有しが天正年時豊臣秀吉九州平定の時悉く没収せらる黒田長政入国の節社参有て当社の破毀を歎じ郡奉行古森市右衛門郡吏神屋三右衛門を以て再興ありしと明治五年十一月三日村社に被定。
又社説に曰く、当社地を郡林と称し又赤馬山とも云ふ即ち祭日に里人の林立する状を以て此の名あり。皇祖神武天皇崗港に御駐輦の砌り当地御巡幸の際、今の赤間にて道に迷はせ給ふ、此の時赤馬に跨りし威容只ならぬ老翁顕はれ、天皇を先導し奉り、忽然と其姿は消滅す。是れ即ち吾祖神の御垂示なりと高く清き所に神籬を建て七柱の神に報賽の祭を成し給ふ。里人は是地を神地として恐れ畏み、後天武天皇白鳳二年四社殿を造営して七柱の神を奉斎す、是れ即ち当社なり。又赤間の地名の起源なり。
籮岳の城主宗像大宮司氏貞は産土神として厚く信奉し社賽等数多奉納せられし内、備前の祖則光の小太刀調拍手祐筆神谷英明書古文書の如き其重なるものなり。春秋の祭祀最も厳重に行はれ、其前五日間は鎮斎と称し、不浄の者別火厩便所の汲取をなさず、只管心神を潔め祭事を行ふ習慣なり。
社地に両翼あり右なるを丸山と称し、徳満社を祀る、牛馬の守護神として遠近の賽者常に絶えず。左なるを茶臼山と称し赤間須賀神社の旧社地なり、全山鬱蒼として、天皇御親祭の旧跡地たるを首肯せしむる所なり社後に当社所屬の寺院延命ありしも明治五年廃寺す
【例祭日】 十一月十一日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿、社務所
【主なる宝物】 翁面、太刀、篇額、調拍手、神鏡
【境内坪数】 三百七十二坪
【氏子区域及戸数】 大字赤間 二百戸、大字石丸 四十戸
【境内神社】 稲荷神社(倉稲魂神)、菅原神社(菅原道真公)、八幡神社(応神天皇)、福地神社(保食神)、貴船神社(高龗神)、春日神社(天児屋根命)
【摂社】 村社須賀神社
コメント  
公開日  2017/05/07
更新日  2017/05/07
神社入口風景
由緒書き
一の鳥居
一の鳥居扁額
社号標
参道風景
二の鳥居
二の鳥居扁額
参道階段
三の鳥居
三の鳥居扁額
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
祭神標
拝殿内
社殿全景
社殿全景
本殿前階段
本殿正面
本殿神額
本殿全景
本殿全景
本殿全景
祈念碑
境内神社(不詳)
境内神社(不詳)
 
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