[1134] 垂裕神社(すいようじんじゃ)
神社№  1134
神社名  垂裕神社(すいようじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2025/11/05
再訪日   
社格   県社
その他社格 
ご祭神  黒田甲斐守長興霊
由緒等  
垂裕神社由来記

ここは、旧筑前の国秋月である。
当社は垂裕大明神(秋月黒田藩初代藩主黒田長興公(一六一〇~一六六五)を奉祀する。
長興公は、福岡藩祖黒田長政の三男として生まれ、幼年より温厚沈毅にして英明の誉れ高く、父長政公に愛されていた。
一六二四年(寛永元年)秋月黒田藩五万石の城主として入府する(公は十四歳)
福岡宗藩と共に肩を並べて諸侯の列に就くことができたのは、長興公の偉大なる人物によるところが大であった。
一六三八年(寛永十五年)島原の乱に際しては、(公は時に二十八歳)幕命に従って諸藩と共に出陣、原城本丸攻略などに大きく戦功を挙げた。
一八五九年(安政六年)東陽院殿(長興公)の二百年祭典挙行にあたり、時の十代藩主長元公(土佐山内家より養子)は藩祖を祭神と仰ぎ、永く敬神酬恩し奉らんと勧請し、神号垂裕大明神を授賜された。
一八七三年(明治六年)この神社造営に当たっては、台地を開き道をつくり旧御館裏の空谷杉や入府当時に植樹した丈余の老松が用いられた。又坂道の石段は士族の老若男女が総出でつくった故に士族坂と呼ばれている。爾来、祭神の英明にあやからんと遠近から参拝者多く崇拝の社となっている。
時がうつりて一九四七年(昭和二十二年)歴代藩主、島原の乱以降の秋月の乱、佐賀の乱、熊本神風連の乱、福岡の乱、西南戦争などに没した志士、国家の為に忠誠を尽くし、殉華なされし、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの戦没者、秋月町財政の功労者などの御霊が合祀さる。
参道の黒門は、秋月氏時代(一二〇三~一五八七)の古処山城の搦手門であったものを、長興公の秋月築城の際に大手門とし、明治になって現在地に移されたものである。(県指定文化財)

一九九九年十月 垂裕神社維持委員会
ご朱印   
鎮座地区 朝倉市
郵便番号 838-0011
所在地  朝倉市秋月野鳥666-1
地図座標 33.465348,130.696404
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 垂裕神社 [A00-0437]
【所在地】 朝倉郡秋月町大字野鳥字館尾
【祭神】 旧藩主黒田甲斐守長興霊
【由緒】 安政六年三月黒田甲斐守長元勧請夜須郡上秋月村の村社八幡宮へ合併明治六年五月旧臣中より野鳥村館尾へ社殿等造営遷座す明治八年十月二十日郷社に被列大正五年三月七日県社に被列。
【例祭日】 三月十六日
【主なる建造物】 神殿、拝殿
【境内坪数】 千七百七十一坪
【氏子区域及戸数】 千六百六十五人
【境内神社】 湊川神社 祭神 楠正成、菊池武敏
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公開日  2026/03/29
更新日  2026/03/29
一の鳥居
一の鳥居扁額
秋月城本門(黒門)案内標
黒門前階段
黒門
社号標
参道風景
参道階段
境内前階段
二の鳥居
二の鳥居扁額
不詳
水盤
境内風景
社殿正面
社殿正面
由緒書き
拝殿内
社殿全景
社殿全景
本殿
社殿背景
社殿背景
記念碑
境内神社、湊川神社鳥居
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
湊川神社正面
湊川神社全景
緒方春朔顕彰碑
種痘の始祖 緒方春朔
 
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