[1353] 七夕神社(たなばたじんじゃ)
神社№  1353
神社名  七夕神社(たなばたじんじゃ)
神社別名 媛社神社(ひめこそじんじゃ)
参拝日  2017/09/09
再訪日   
社格   郷社
その他社格 
ご祭神  媛社神、織女神、菅原神
由緒等  
七夕神社

七夕神社は、正式には媛社神社といい、肥前風土記(七三〇年頃)の中に記述があり、当時すでに大崎のこの地に神社がまつられていたことがわかります。祭神は、神社縁起に姫社神と織姫神と記されています。
また、今から千年以上前の延喜式という書物には各地から朝廷に差し出す献上品の一覧表が残っています。それによると、小郡を含む筑後の国の献上品は米と織物になっており、この地方は織物がたいへん盛んであったことがうかがえます。また、古来織物に携わってきた人々は織物の神として「棚機津女」という機織りの女神を信仰していました。この棚機津女の信仰と中国より伝わった織姫・彦星の物語が混然同化して、織物の神をまつる棚機(七夕)神社として親しまれるようになったと思われます。
古老の話によれば、「この神社は『七夕さん』として親しまれ、八月六日の早朝から翌七日の朝にかけて、筑前、筑後、肥前一帯から技芸上達のお詣りで大崎に通じる道路は参詣者が列をなした。」と語っています。
また、宝満川を挟んでこの織り姫をまつる七夕神社と相対して老松神社があり、ここに、大正十二年の圃場整備の際に合祀された牽牛社があります。天の川と同じく南北に流れる宝満川とその両岸にまつられた織姫と牽牛(彦星)は、天上の物語を地上に配した様になっており、そこには昔の人々の信仰とロマンが感じられます。

平成五年十二月 七夕の里振興協会

神社の言い伝え
媛社神社の歴史は古く、その起源は1300年前に書かれた「肥前国風土記」にさかのぼります。「肥前国風土記」に書かれた文章を要約すると次のようなものになります。昔、姫社(今の鳥栖市姫方町付近)の地に悪い神がいて、旅する人を多く殺していた。そこで土地の人が困って占ったところ、宗像(今の宗像市付近)に珂是古(かぜこ)と言う人がいて、その人に神の社を祀らせると良いと出た。そこで珂是古は、幡を掲げ、その神がいるところに落ちるように祈祷して幡を飛ばした。幡は風にしたがって飛んで行き、御原の郡の姫社の社に落ちた。(基肄郡姫社郷の条)
この姫社の社が、現在の媛社神社の起源です。

媛社神社のまつり
神社の最も大きな行事は、8月6日の「よど」と8月7日の夏祭りです。「よど」では、夕方から「子ども神輿」が集落の中を巡ります。夏祭りでは、早朝から無病息災を願って「獅子追い」が集落の中を回り、夜には境内に舞台が設置されて演芸会が開かれます。境内には全国から送られて来た短冊をつけた笹が飾られ、またたくさんの店も出て、多数の参拝者で賑わっています。

大崎媛社神社
媛社神社は郷社として、近郷の人々の信仰を集めていました。18世紀中ごろに、土地の庄屋が久留米藩に提出した書類には、この神社は「岩船大明神」と書かれています。嘉永7年(1854年)に建てられた鳥居の額には「磐船(いわふね)神社」「棚機(たなばた)神社」の文字が並んで書かれています。そのころは、磐船神社、棚機神社と呼ばれていたようです。現在は正式名称を媛社神社といいますが、近郷近在の皆さんからは、親しみを込めて「七夕さん」と呼ばれています。

媛社神社(七夕神社)境内内末社説明

[天満神社]
祭神菅原道真公

菅原道真公は平安初期(845年~903年)の人で、学問にすぐれた忠臣としても名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では政治家として右大臣という要職にまでつきました。しかし、901年藤原氏をはじめとする勢力の陰謀により太宰府へ太宰員外帥(だざいいんがいそち)として左遷され現地で903年に亡くなりました。
死後、左遷に関係した人々が死んだだけでなく、天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満神社として信仰の対象となりました。
学問の神、文化の神として古くから京都北野天満宮m太宰府天満宮をはじめ、全国各地に祭られ信仰をあつめ親しまれています。このお社は、境内外の大崎字中ノ前と、中屋敷に祀ってあった末社を、大正5年に合祀したものです。
(お社の老朽化により、平成28年3月西側に少し移動させ改装しました)

平成28年5月 七夕神社

小郡市大崎の「七夕」さん 媛社神社

小郡市大崎にある媛社神社(通称「七夕神社」)は、地元では親しみを込めて「七夕さん」と呼ばれています。神社の歴史は古く、和銅六(七一三)年に各国で作るように命じられた風土記(「肥前風土記」)の中に、その由来が出てきます。以来、一三〇〇年にわたって、地元の氏神として信仰されてきました。

今から一〇〇〇年以上前の「延喜式」という書物によるとこの地方は織物が大変盛んであり、古来織物に携わってきた人々は「棚機津女」という機織りの女神を信仰していました。この女神の信仰と中国から伝わった牽牛・織姫の物語が混然同化して、織姫の神を祀る棚機(七夕)神社として親しまれるようになったと考えられます。
この織姫を祀る七夕神社と相対して、宝満川の対岸には牽牛社(老松神社内)があります。現在、この社を保存し活用するために、七夕の里振興協会が結成され活動しています。平成二十五年には光る石の天の川を、翌年には織姫・牽牛像を製作しました。

媛社神社では七月七日より七夕月間に入り、新暦八月六・七日には七夕夏祭りが行われます。
前夜(六日)のヨドでは、夕方から子ども神輿が集落を巡ります。
翌日早朝から獅子追いが集落を巡り、無病息災を祈願します。
夏祭り当日に神社を参詣する人は多く、市内はもちろん遠方からの参詣者もいます。
七夕が近くなると、全国から願いが書かれた短冊が送られてきて、境内の竹笹を彩ります。

*ヨド・・・祭日の前夜に行われる祭りのこと。宵宮(夜宮)、コモリとも呼ばれるが、中国地方から九州にかけてはヨドと呼ぶ地域もある。
ご朱印   
鎮座地区 小郡市
郵便番号 838-0127
所在地  小郡市大崎1
地図座標 33.389329,130.563375
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 媛社神社 [A00-0730]
【所在地】 三井郡小郡村大字大崎字東
【祭神】 姫社神、織女神、菅原神
【由緒】 不詳、明治六年三月十四日郷社に列せらる。菅原神は字中屋敷に無格社天満神社、及中の前に無格社天満神社として祭祀ありしを大正五年三月十六日許可を得て合祀祭神同一のものに付合霊す。
【例祭日】 十二月十六日
【神饌幣帛料供進指定】 大正十二年一月十一日
【主なる建造物】 神殿、廊下、拝殿、倉庫、社務所
【境内坪数】 四百八十坪
【氏子区域及戸数】 七十四戸、小郡村大字大崎全区
【境内神社】 天満神社(菅原神)
コメント  
公開日  2018/01/14
更新日  2018/01/14
神社看板
牽牛織姫像
神社全景
神社全景
神社正面
由緒書き
社号標
牽牛像
織姫像
一の鳥居
一の鳥居扁額
二の鳥居
二の鳥居扁額
手水舎
社殿正面
社殿正面
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
社殿全景
社殿全景
社殿背景
本殿
社殿背景
恋人の聖地案内板
神社神宝庫
神輿庫
境内神社、天満神社
天満神社由緒書き
社務所
     
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