[1423] 八剣神社(やつるぎじんじゃ)
神社№  1423
神社名  八剣神社(やつるぎじんじゃ)
神社別名  
参拝日  未参拝
再訪日   
社格   村社
その他社格 
ご祭神   
由緒等   
ご朱印   
鎮座地区 鞍手郡
郵便番号 807-1312
所在地  鞍手郡鞍手町中山1588
地図座標 33.775508,130.685199
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 八剣神社 [A00-0268]
【所在地】 鞍手郡剣村大字中山字尾山
【祭神】 日本武尊、素盞嗚尊、宮簀姫命、伊弉冊尊、事解男命、速玉男命、大己貴神、稲田姫命、豊日別命、事代主神、高龗神、猿田彦神、菅相丞、天児屋根命
【由緒】 当社創立は人皇二十七代安閑天皇の御宇田部人麿と云ふ者神託に依りて則当山上に斎祭る往古は近郷に双ひなき御社にて神徳普く人の知る所なり又足利尊氏当国に没落の時佐平衛督直義を以て武運を祈る後に正殿を再建す田地二町九反二畝を寄附せし事旧記に顕然たり又応仁年中梅野土佐と云ふ者社地を転じ植木庄本社と称す天正年中回禄ありて宝物古文書等悉く焼失す明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神伊弉冊尊、事解男命、速玉男命三祭神は同村同大字同字無格社熊野神社として素盞嗚命、大己貴命、稲田姫命は同大字同字無格社須賀神社として、豊日別命は同大字同字無格社豊日別神社として事代主神は同大字字猿喰無格社恵比須神社として高龗神は同大字字濁り無格社貴船神社同大字字土与丸同大字字下松尾同大字字下内、同大字字山内、同大字字小部良無格社貴船神社として高龗神同一祭神祭祀ありしを、菅相丞は同大字字山ケ崎無格社天満神社として猿田彦神は同大字字幸の浦無格社照我幸神として祭祀ありしを明治四十三年四月二十二日合併許可
祭神日本武尊天児屋根命は同大字同字無格社豊日別神社境内神社上宮と祭祀ありしを明治四十三年四月二十二日合併許可又社説に述ぶる所次の如し、日本武尊熊襲御征伐の時当国を経歴し給ふ。酋長今朝麿皇子の御幸を聞き伝へ厚く之を迎ふ、尊曠野の石に御腰を掛けさせられ此国の風俗地理等を尋ね問はせ給ふ、今朝麿詳かに対へ奉りければ尊喜び浅からず、程なく賊を平げ給ひ、都に帰らせ給ふ時再び此地に留まり給ひしかば、今朝麿行宮を築営して守護し奉る。尊剣嶽に登り給ひ熟々四方の風景をみそなはして曰く、「此山諸山に勝れたり、吾今賊を平げ国民帰服し、自ら静かなる世の中山かな」と。茲に中山の称起る。其還幸に際し御山を下り給ひけるに、雷雨烈しくありしかば尊供奉の人々と木の陰に息ひ、八つ雷の神を奉らせ給ひしに、雷雨忽に止みぬ(此祭所を八雷社と称す)、雷雨晴れければ尊神前原を過ぎ、しばらくは息はせ給ひ験を残さんと、今の日吉神社のある所より三町ばかりの所に、弟彦公をして松樹を植えさせ給ふ之を植木の森と云ひ、其邑を植木の里と号すと伝へ云ふ。日往き月来りて人皇二十七代安閑天皇の御宇今朝麿の遠孫人麿神託に依りて当剣山上に創立奉祀す。
又曰く天智天皇七年十一月、新羅の沙門道行草薙剱を盗みて帰る中、路筑紫まで到りけるに風雨に芒迷、御剱本朝の境を出給はず、此御山に暫く安置し奉ると。往昔は近郷に双びなき御社にて神徳普く植木庄本社と称せられたり。
【例祭日】 十月二十一日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十年八月二十六日
【主なる建造物】 本殿、拝殿、神饌所、社務所、神楽殿、鳥居、石門、燈籠、高麗犬、銅馬、銅牛、汐井台
【主なる宝物】 刀剣三振
【境内坪数】 八百十六坪 境外所有地八町余歩
【氏子区域及戸数】 剱村大字中山 戸数七百戸、炭坑戸数二千四百戸
【境内神社】 天満神社、五穀神社、貴船神社
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