【社名】 彦穂神社 [A00-0383]
【所在地】 嘉穂郡頴田村大字口原字宮ノ前
【祭神】 彦火々出見命
【由緒】 本社は後堀河院御宇寛喜元年鞍手郡磯光村(現今宮田村大字磯光)天照宮(現今郷社天照神社)の宮臣坊大宮司幸眼勧請祭祀せし所なり是天照宮の神領地なりしに依り祭祀せしならんと言ふ又本社は初め神屋と言ふ地にありしが元享年中火災に罹り神体も焼失せり仍て正中年間今の地に社殿を造営して遷座祭祀する所なり其徴證左の如し。
一、元本社の宮司坊にして既に廃絶せる社に観音堂あり仏像の台座刻銘あり其文に当寺開基幸眼僧都者天照宮司坊也然有故建立狩子八幡宮而為神創造当寺云爾、光明山円福寺附記年号の所腐蝕して不明なり。
一、旧御神体の台板に刻銘あり其文に〼寛喜元年草造之狩子八幡為天火社殿炎上尊体亦損仍任神占移社地令造営于彦穂園之所一年有半而功漸竟矣此日虔奉安置新調之尊像者正中甲子極月吉辰、大宮司幸眼。
一、社蔵獅子頭銘文に(太宰管内志にも載す)嘉暦元年八月〼日大宮司幸眼鞍手郡宮田村大字磯光郷社天照神社社蔵応永十九年の文書に左の記事あり、筑前州粥田庄惣廟天照末社鎮座記、本城村生子大明神(醍醐天皇元享元年祭神沼津彦根命)附記明細帳に「醍醐天皇元享元年」と記載あるも、醍醐天皇の御宇には斯かる年号なし、後醍醐天皇の御宇に元享年号あり、(「後醍醐天皇元享元年」の誤記か)(此の間に十一社あり略す)口原村狩子大明神(後堀河院寛喜元年祭神彦火火出見命)(此の間に四社あり略す)右天照宮末社祭神並鎮座年代更相違無之仍令記録畢、応永十九年壬辰六月十五日天照宮神主長屋平太夫
中古沿革分明ならず貞享二年神殿再建棟札に奉再建狩子大明神御社殿云々于時貞享二于于乙丑季九月二十六日
享保十三年石鳥居建設銘に享保十三歳次丙午(附記享保十三年は戊申の年なり同十一年が丙午の年に当れり)四月穀且郡吏伊丹仁衛一正監察云々但額面には彦穂神社とあり。
明治六年三月村社に定めらる。明治十三年十月拝殿再建、産子中
附記本社初めは狩子八幡宮と称せしも後狩子大明神又八幡宮と称し後彦穂神社と改称せり但彦穂神社は鎮座の地名に依り改称したるものなるべし。
【例祭日】 九月十五日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十四年二月十六日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿
【境内坪数】 千百八坪
【氏子区域及戸数】 口原全区 百八十戸
【境内神社】 須賀神社(須佐之雄命、稲田毘売命)、高木神社(高皇産霊命)
|