[1469] 高祖神社(こうそじんじゃ)
神社№  1469
神社名  高祖神社(こうそじんじゃ)
神社別名  
参拝日  2019/06/05
再訪日  2020/10/03
社格   村社
その他社格 
ご祭神  玉依姫命
由緒等  
高祖神社沿革

御祭神 玉依姫命(平和の神) 人皇第一代神武天皇の母君
祭日 九月十九日

当社は第七十二代白河天皇の応徳元年(西暦一〇八四年)竈門山宝満宮(旧官幣小社竈門神社)の神領となったとき宝満宮を勧請し産土神としました。
ここは昔古から天祇地祇が御鎮座ましました聖地で天安元年(八五九年)より八回に亘り社殿を再建しました。寛治四年(一〇九〇年)に梵鐘奉納あるも天和元年(一六八一年)に紛失摺物の断片僅かに保存しています。慶長元年(一五九六年)製鉄鰐口奉納あり今宝物として保存しています。
戦国諸豪族により天下乱れ幾度か戦火を交えるに至り永禄元年(一五五八年)社殿を焼失享保十三年(一七二九年)大正十四年(一九二五年)鳥居建立明治元年(一八六八年)宝満宮を高祖神社と改称しました。
末社四社浮殿三社があります。当社は天災地変あるとき氏子が平和繁栄を望み祈禱したといわれています。今も元旦詣り初宮詣りなど氏子和学の社であります。

神社明細帳より
ご朱印  
鎮座地区 飯塚市
郵便番号 820-0079
所在地  飯塚市高田1048付近
地図座標 33.601589,130.634774
公式HP   
福岡県神社誌
【社名】 高祖神社 [A00-0355]
【所在地】 嘉穂郡大分村大字高田字平瀬
【祭神】 玉依姫命、神日本磐余彦尊、登由宇気大神
【由緒】 社殿に当社は白河天皇の御宇応徳年間竈門山宝満宮(今筑紫郡太宰府町大字内山官幣小社竈門神社)の神領となりしに依り同時宝満宮を勧請し本村の産土神とせりと言う。
寛治四年に梵鐘の奉納ありたるも元和年中盗難に罹り紛失せり銘文摺物の断片僅に保存す其文南無宝満寛治四筑前の国穂波とありて他は分明ならず慶長元年に鉄製鰐口の奉納あり今宝物として保存す其の銘に穿(此の字腐蝕して読み難し穿字領)満宮奉勅(此所腐蝕磨滅して不明)高田村浅井孫右門慶長元亥年八月吉日(以下磨滅して不明)慶長八年八月拝殿再建棟札に奉建立宝満大菩薩拝殿一宇之事大日本西海道筑前国穂波郡高田村大且那云々 于時慶長八年八月吉日願主(不明)善左エ門大宮司式部大夫云々と有り。享保十年高田触総社として触中より法篋印塔を奉納す、其銘に奉納宝満宮御神前高田触中建立高田村大保正矢野四郎右エ門大分村大保正矢野市三郎裏面に経に曰云々となり。
附記本社の触総社となりしは享保十年なるや其の以前なるやは今確徴を得ざるも古来触中の祈願所たり故に天災地変あれば必ず触中より災除の祈願をなせり。天保四年拝殿再建棟札に奉建立宝満宮拝殿一宇天下和順云々当村保正入江武四郎盛義祠官青柳河内頭云々とあり。明治元年宝満宮を高祖神社と改称し奉る。明治五年十一月三日村社に定めらる。明治三十四年十一月神殿改築す。
祭神神日本磐余彦尊登田宇気大神は同大字字城林に無格社として祭祀有し護穀神社(由緒古老碑に筑紫鎮守の御子海建盤辰命昔此地を始め給ひしとき此所字城林に神日本磐余彦尊の霊を勧請せりと、寛政九年一月登由宇気大神を勧請して一社に二神を祀り護国神社と称す)を大正四年九月十七日許可を受け明細帳編入同時に当社を合祀す。
【例祭日】 九月十九日
【神饌幣帛料供進指定】 明治四十二年三月六日
【主なる建造物】 神殿、幣殿、拝殿
【境内坪数】 五百二十八坪
【氏子区域及戸数】 約百戸
【境内神社】 若宮神社(大鷦鷯命)、須佐神社(素盞嗚命)、天満神社(菅原大神)
【摂社】 稲荷神社(宇賀魂神)、天神社(少彦名神)、大賀神社(大名持神)
【末社】 春日神社(春日大神)
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公開日  2019/06/09
更新日  2020/10/04
一の鳥居
一の鳥居扁額
社号標
祈願受付案内
参道風景
二の鳥居
二の鳥居扁額
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
三の鳥居
三の鳥居扁額
ご神木
薬師如来聖観世音菩薩堂
神社入口風景
参道階段
注連掛石
狛犬(阿形)
狛犬(吽形)
お潮井台
手水舎、由緒書き
社殿正面
拝殿内
拝殿神額
奉納絵馬
奉納絵馬
社殿全景
社殿全景
本殿
境内神社、左から事代主命・大国主命、若宮神社、須賀神社
慰霊碑
記念碑
境内神社(不詳)
境内神社、天満宮
猿田彦大神
石神
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